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山椒魚(さんしょううお)の忍耐 井伏鱒二(いぶせますじ)の文学 勝又浩著

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山椒魚/井伏鱒二のあらすじ 山椒魚が岩屋から外に出ようとすると、2年間の成長で頭が出口につっかえ、出られなくなっていた。 岩屋の中は泳ぎ回るには狭く、山椒魚は「俺にも相当の考えがあるんだ」と決心するも、何ひとつ考えは浮かばなかった。 山椒魚は出口に顔をつけて外を眺めることを好んだ。 先頭の一匹に続いて皆が方向転換するメダカを見て、仲間から自由になって泳ぐことができないと感じ「なんという不自由千万は奴らであろう!」と嘲笑してしまった。 岩屋に紛れ込んできた小エビは、山椒魚を岩だと思ったようで、山椒魚の腹にすがりついた。 山椒魚は得意げに「くったくしたり物思いに耽ったりするやつは莫迦だよ」と口にし、岩屋から出る決心をして出口に突進するも、穴に強くはまりこんでしまい、もとの岩屋の中に身を引き抜くにもたいへんな苦労となった。 小エビは、山椒魚を見て、失笑してしまった。 山椒魚の目から「ああ神様!」と涙が出た。 岩屋の外で水すましやカエルが動き回るさまを見て山椒魚は感動するが、自分を感動させるものから目を背けた方がいいことに気がついた。 山椒魚は、まぶたを閉じ、開こうとしなかった。 よくない性質を帯びてきたらしい山椒魚は、ある日、岩屋に紛れ込んできたカエルを、出口に頭で栓をすることで出られなくした。 山椒魚は、カエルを自分と同じ状態に置くことができることが痛快だった。 「一生涯ここに閉じ込めてやる!」。 2年がたち、カエルは嘆息をもらした。 山椒魚は「お前は今どういうことを考えているようなのだろうか?」と訪ね、もう空腹で動くことができない というカエルは「今でもべつにお前のことをおこってはいないんだ」と答えた。

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井伏鱒二『山椒魚』の結末を解説!読者の感想は?寓意あり?

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登場人物は主人公の「山椒魚」と「蛙」。 山椒魚はある時、ねぐらにしていた岩屋の中から出られなくなっていることに気づきます。 2年間岩屋にこもっているうちに、体が大きくなってしまったのです。 動き回ることもできない岩屋の中から、「物思いにふける小海老」や「群れでしか泳げないメダカ」を嘲笑して暮らします。 それでも山椒魚は何とか外に出ようと試みますが、すべて徒労に終わります。 初めは外の世界で自由に動きまわる水すましや蛙の姿を感動の目で眺めていましたが、やがてそれらからも目をそらし、唯一自由にできるまぶたを閉じて暗闇の中に閉じこもりました。 そんな岩屋での生活は、山椒魚を「よくない性質」に変えてしまいました。 岩屋に入り込んできた一匹の蛙を閉じ込めてしまうのです。 そこから、悲しく、どこかおかしい幽閉生活が始まります。 『山椒魚』は短い話ですが、その解釈はよくテスト問題でも出題されているようです。 井伏鱒二はこの物語の主人公を「頭でっかちになってしまった知識人」にたとえたという解釈があります。 知識を詰め込みすぎたばかりに融通が利かなくなり、身動きが取れなくなった知識人を、体が大きくなりすぎた山椒魚に例えた、とする説です。 岩屋にこもっていれば、せわしない外界に関わることなく、自分からは外界を見ることができます。 しかし、そこに安住してしまうと、二度と元の世界には戻れないのです。 だとすると、蛙の役割はなんでしょうか。 蛙は山椒魚に岩屋の中に閉じ込められてしまいますが、最後には「今でもべつにお前のことをおこってはいない」と言います。 そんな蛙は、自由に動き回れる「若者」だと解釈することができるのではないでしょうか。 「知識人」は、対抗してくる「若者」を閉じ込め、可能性を封じてしまう。 もしくは、「若者」の方から知識人の世界に飛び込んでしまい、出てこられなくなる。 そんな姿を表現したものだと考えることもできそうですね。 小説の中で蛙の心情はほとんど描かれません。 蛙が単に「捕まった」のではなく、「自分から危険な穴に入ってしまった」と思っているのだとしたら、「おこってはいない」の意味も分かりますね。 「山椒魚は悲しんだ」とは?名言から蛙などの気持ちを考察! 「ああ、寒いほど独りぼっちだ!」 (『山椒魚』より引用) これは「山椒魚は悲しんだ」から始まる身動きの取れなくなった山椒魚を描いた場面です。 主人公は山椒魚であり、その生態もこの生物そのものなのですが、心理描写がひたすらに細かく、人間らしいため、読者は彼を自然と擬人化してとらえてしまいます。 自分勝手でわがままに見える彼ですが、誰もいない岩屋で寒いほどの孤独を感じていたのです。 「ああ神様! あなたはなさけないことをなさいます。 たった二年間ほど私がうっかりしていたのに、 その罰として、一生涯この窖(あなぐら)に私を閉じこめてしまうとは横暴であります。 私は今にも気が狂いそうです」(『山椒魚』より引用) 同じく主人公の嘆きのセリフです。 しかし、「たった二年間ほどうっかりしていた」というのはかなり自分のことを棚に上げた言葉のように感じるのではないでしょうか。 「今でも別にお前のことをおこつてはゐないんだ」(『山椒魚』より引用) 長い間議論が続くラストシーンの蛙のセリフです。 一見すると「和解」のセリフとも取れます。 しかし、実際には怒っていたが、孤独を感じていた彼の悲しみを理解して気を遣っている、という解釈や、「そもそも自分からこの岩屋に飛び込んだのだ」と自分の行動に責任を感じている、ともとらえることができます。 いずれにしても単純な「仲直り」ではない何かを感じさせる言葉です。 『山椒魚』のラストは削除された!?その理由とは 山椒魚には複数のラストがあります。 井伏鱒二の手によって書き換えられたのです。 蛙が「今でも別にお前のことをおこつてはゐないんだ」と言うシーンは丸ごとカットされ、以下のように終わるラストも存在していました。 更に一年の月日が過ぎた。 二個の鉱物は、再び二個の生物に変化した。 けれど彼等は、今年の夏はお互い黙り込んで、 そしてお互いに自分の嘆息が相手に聞こえないように注意してゐたのである。 (『山椒魚』より引用) つまり、2匹は緊張状態のまま終わってしまうのです。 この改変については、井伏鱒二が「2匹が和解した」と受け取られるのを嫌がった、とも言われています。 というのも、2匹がどんなことを考え、どんな会話をしたのか、そしてどんなふうに死んでいったのか、完全に読者の想像に任せたかったのではないでしょうか。 しかしこの改変は大きな物議を引き起こし、「ラストを削除するとまったく別の話になってしまう」「作者だからといって、一度発表したものを改変するのは許されるのか」と議論になりました。 井伏自身も迷いがあったのか、後年のインタビューで「(ラストは)直さないほうがよいようだなあ」と話すなど、悩んでいたようです。 教材としてももよく使われる『山椒魚』ですが、ユニークな授業が行われたこともあります。 それが、「『山椒魚』の寓意性を考える」という授業です。 「寓意」とは、それとなく、ある意味をほのめかすことです。 「寓意小説」というと、物語のなかに教訓や意見を仮託した小説のことをいいます。 『山椒魚』にも、現代に通じる教訓が含まれているのでしょうか。 「主人公は知識人のメタファーである」という解釈を紹介しましたが、現代風にとらえると、「主人公は引きこもりのことである」とも考えることができます。 初めは現状から抜け出す努力をしていたが、それがうまくいかないとわかると一転して周囲を馬鹿にするようになる……出口のない悩みを抱えた現代の引きこもりと重なる部分があります。 『山椒魚』の結末をネタバレ解説! 「暗黒の浴槽(あなぐら)」に閉じ込められ、「よくない性質」になってしまった山椒魚は、蛙を岩屋に閉じ込めました。 岩屋の出入り口をふさがれた蛙は外に出ることができません。 初めは安全なくぼみの中で息をひそめていた蛙ですが、ある時、岩屋の中での杉苔が花粉を散らすのを見て思わず「ああああ」とため息を漏らします。 それを聞いた山椒魚は、初めて友情を込めて、「もう降りてきてもいい」と呼びかけます。 ところが、その時すでに蛙は空腹で動けず、死を待つばかりになっていました。 「お前は今何を考えているようなのだろうか」と尋ねる山椒魚に、蛙は「今でも別にお前のことを怒ってはいないんだ」と答え物語は終わります。 本作はさまざまな解釈が生まれている作品です。 学校で習った答えが正解だとも限りません。 もう一度本を開いて、あなたなりの解釈を見つけてみませんか?.

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米津玄師 海と山椒魚 歌詞

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両生綱有尾目に属する動物。 一般に全体をサンショウウオとよび、このうち科またはイモリ亜目の種をイモリとよぶ。 [倉本 満] 形態体は細長く、頭、胴、尾に分かれる。 全長4~120センチメートル。 頭部には口、外鼻孔、目があり、鼓膜はない。 洞穴性の種では目が退化または消失し、幼形成熟の種では外鰓 がいさい または鰓孔が残る。 胴部は長く、体側に規則的に配列する溝(肋皺 ろくしゅう 、肋条)をもつ種が多い。 四肢はほぼ同大。 前肢に4本、後肢に5本の指をもつ。 水中性の種では四肢が退化・消失する傾向がある。 無尾目と異なり、成体にも尾がある。 プレソドン科やハコネサンショウウオは肺をもたず、主として皮膚呼吸をする。 [倉本 満] 繁殖サンショウウオ亜目とサイレン亜目を除き、雄に精包をつくる器官、雌に貯精嚢 ちょせいのう があって、体内受精を行う。 水中または陸上で雌雄は種に特異的な繁殖行動をとり、雄が放出した精包を雌が排出孔から取り込むか、直接精包が雌の排出孔に移される。 卵は輸卵管下部を通過する際に受精し、雌は単独で受精卵を産む。 受精卵が輸卵管内にとどまって発生し、幼生や幼体となって生まれる種もある。 サンショウウオ亜目は体外受精で、雌が産卵を開始すると雄が卵嚢を抱き、排出孔を押し付けて受精する。 卵嚢はコイル状、円筒状、数珠 じゅず 状、小塊状をなす。 1個ずつ産卵する種も多い。 幼生は細長く、水中で小動物を食べる。 カエルのオタマジャクシと異なり、外鰓は変態時まで存在し、四肢は孵化 ふか 時にすでにみられる。 止水性の幼生は口の後方に1対の細い棒状のバランサー(平衡桿 へいこうかん )をもつ。 流水性の幼生の尾は横からみると幅が狭く、指趾 しし 端に黒色のつめを備えるものもある。 [倉本 満] 分布有尾類は北半球の温帯に広く分布し、新大陸では南アメリカのアマゾン川流域にまで進出している。 地上性の種が多く、水中性の種は比較的少ない。 中央・南アメリカには樹上性の種が多い。 [倉本 満] 分類有尾目Urodela Caudata には8科約330種が含まれる。 [倉本 満].

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