あれ から。 あれから15年。SNS過熱以前の、クールなドラマだ 『野ブタ。をプロデュース(特別編)』――亀和田武「テレビ健康診断」

性暴力によって生まれた子どもたちと、その母。 『あれから——ルワンダ ジェノサイドから生まれて』を日英併記で出版したい

あれ から

写真家 ジョナサン・トーゴヴニクがルワンダのジェノサイドの際に性暴力を受けた女性たちと、それによって生まれた子どもたちを記録したプロジェクト。 母と子が暗がりの中で生きてきた日々を初めて語った本書の出版をご支援ください。 はじめに 1994年、ルワンダで起きた悲劇について 1994年4月から6月の間に、中央アフリカの小さな国 ルワンダで、100日間におよそ80万人と推測されるツチの人々が「インテラハムウェ」と呼ばれるフツの民兵によって殺害されました。 何十万人もの女性た ちは、フツの民兵たちによって「武器」としての性暴力を受け、それによっておよそ2万人と推測される子どもたちが生まれました。 この事実は、今なお被害の全容が明らかでなく、日本でもほとんど知られることがありませんでした。 ニューヨークを拠点に活動していた写真家のジョナサン・トーゴヴニクは、取材で訪れたルワンダでこのような現実を初めて知り、大きな衝撃を受けます。 そこで自らのプロジェクトとして、3年間をかけてこうした境遇にある女性たちへのインタビューと撮影を行ないました。 カメラの前に初めて立った母と子。 こちらに向けられた眼差し。 沈黙の果てに語られた言葉。 そこには事実の途方もなさとともに、人間のもち得る真実の強さが秘められていました。 この取材は、2009年に『Intended Consequences: Rwandan Children Born of Rape』という一冊になり、翌年の2010年に日本語版『ルワンダ ジェノサイドから生まれて』が小社より刊行されました。 お陰様で多くの方に関心をお寄せいただき、重版することができました。 日本語版の企画・翻訳者である竹内万里子さんが京都と東京で写真展も実現させ、トーゴヴニクが来日してトークイベントなども開かれたのです。 さらに2012年には、この作品でトーゴヴニクはフランスのアルル国際写真賞で「ディスカバリー・アワード」を受賞しています。 アネットと息子ピーター クレアと娘エリザベス 1. あれから……12年前に会った家族を再訪。 成人した子どもたちは初めて、生きてきた日々を語りました トーゴヴニクは2009年、自らルワンダ財団を設立して、ジェノサイドの際の性暴力から生まれた子どもたちが教育を受けるための支援や、傷ついた母親たちのカウンセリングや 就労支援を積極的に行ってきました。 そしてさらにジェノサイドから25年を迎えるにあたり、2018年から2019年にかけて、およそ12年前に会った家族のもとを再び訪れて取材しました。 母親たちは子どもたちに、彼らがどのようにして生まれたのかを既に告げていました。 前回の撮影のときと同じ場所で撮られた母子のポートレート。 子どもたちの顔。 そして、母と子はそれぞれに「あれから」の時間を語ったのです。 ウィニーと娘アサンス バーナデットと息子フォースティン 子どもたちの多くは、周囲からさまざまに孤立した状態で「人殺しの子ども」と呼ばれて生きてきました。 社会において差別やハラスメントに直面しながら、母親、そして父親との関係にそれぞれに向き合い、手探りで生きてきたのです。 バーナデットの息子フォースティンは語ります。 「母がどうやって暴行されたかを語ってくれたとき、自分の心が突き刺されたように感じました。 母が暴行された結果自分が生まれたということ、そして父は暴行犯で人殺しだったということを知って、とても苦しみました。 」 フォー スティンの母親、バーナデットは言います。 「私は息子がこの地域で人殺しの子と呼ばれるという事実に深く傷つき悩んでいました。 」「ジェノサイドの間、私 が木に吊り下げられてたくさんの男たちに暴行されたと言われて、私は本当に深く傷つきました。 私は自分を暴行した男性、つまり息子の父親が私に行なったことを裁判で証言しました。 ある日、彼がうちに来て、私の前でひざまずき、許してほしいと懇願しました。 どれだけ多くの女性たちが暴行されたのか、そして暴 行の後どれだけ多くの女性たちが殺されたのか、私は思いを巡らせました。 私は暴行されましたが殺されはしなかったわけです。 そこで私は彼を許しました。 」 母 親たちはその人生を前に進めながらも、ジェノサイドによる深い傷に今も苦悩しつづけています。 母親が真実を伝えてくれた勇気を尊敬し、愛がより深まったと 語る子ども。 告白を聞いて、瞬間的に失神したようになったと語る子ども。 そして、母と子の証言のかすかなズレに気づくとき、そこに孕まれた複雑さ、重さに あらためて立ち止まされます。 本書をひとりひとりに、そして世界に手渡したい。 「あれから」と題されたこのプロジェクトで、トーゴヴニクは武器としての性暴力という十分に報道されていない問題を浮き彫りにし、投げかけています。 紛争地帯における性暴力から生まれた子どもたち、そして何世代にも渡って受け継がれる複雑で深いトラウマ。 これらの家族を再訪して彼が見出したのは、かすかな希望と許し、壊れやすさ、そして性暴力の深刻なトラウマと影響によって今なおつづく葛藤でした。 現実に、世界各地で大規模にこの問題は発生しつづけています。 ニュースで見聞きするそれは、遠い土地の出来事に思えるかもしれません。 しかし、私たちの身の回りでも、この問題を巡って女性たちは声を上げ始めています。 そして、この本に収められたひとりひとりの生に触れるとき、私たちが受け取っているのは、得がたい、心の軌跡であり、傷みであり、不思議な力でもあります。 写真が、時間という目に見えないものを厳然と差し出す前で、同じく生きて在る私たちは、「あれから」について、そして「これから」について思いを巡らすことができると信じています。 前作『ルワンダ ジェノサイドから生まれて』は英語版、ドイツ語版、スペイン語版、日本語版が各国で刊行されましたが、今回の『あれから——ルワンダ ジェノサイドから生まれて 原題:Disclosure: Rwandan Children Born of Rape 』は、小社のみの刊行となります。 現在の出版を取り巻く状況によるものと言えますが、ここを起点として、広く本書を世界に伝えることを考えたいのです。 そのためには和英併記にすることが必須であり、世界的な流通や展示などの展開を目標としています。 制作費を要しますが、なるべく定価を抑えて多くの方に手渡していきます。 皆さまのご協力を心よりお願いする次第です。 ー ページ見本 ひと組の親子の物語は、10ページにわたり綴られます。 これは、本を開いたところです。 たとえば、母アネットと息子ピーターのページは、以下のようになります。 ・2018年の親子のポートレート ・2007年の親子のポートレート ・息子ピーターのインタビュー ・息子ピーターの2018年の写真、息子ピーターの2007年の写真 ・母アネットのインタビュー 写真はつねに、今、そして11年前という順に現れます。 親子のポートレートはいずれも住まいの近くで、母親が選んだ場所で撮影されました。 11年前と同じ場所に在って、彼らの写真が伝えてくれるもの。 子どもの顔のアップの写真は、こうして今の写真もあることにより、無限に「あれから」の時間に触れていくようです。 写真家。 世界各地を取材した様々なプロジェクト を「ザ・ニューヨーカー」、「ニューヨーク・タイムズ・マガジン」、「タイム」、「ニューズウィーク」などで幅広く発表し、受賞歴多数。 2007年、ルワ ンダのジェノサイドのときの性暴力から生まれた子どもたちの中等教育を支援するための非営利組織「ルワンダ財団」を共同設立(。 2009年『Intended Consequences: Rwandan Children Born of Rape』 Aperture を刊行(日本語版『ルワンダ ジェノサイドから生まれて』)。 2012年、同作品によってアルル国際写真賞ディスカバ リー・アワードを受賞。 その他の作品集に『Bollywood Dreams』 Phaidon, 2003年。 ニューヨーク国際写真センターで講師を務める。 竹内万里子 1972年生まれ。 写真批評家。 2008年フルブライト奨学金を受け渡米。 「パリフォト」日本特集ゲストキュレーター (2008年)、「ドバイフォトエキシビジョン」日本担当キュレーター(2016年)など、数多くの写真展を企画。 国内外の雑誌、新聞、作品集、展覧会図 録への寄稿、共著書多数。 『Intended Consequences』の日本語版『ルワンダ ジェノサイドから生まれて』を企画翻訳し、国内巡回展を制作。 単著『沈黙とイメージ 写真をめぐるエッ セイ』(赤々舎、日英対訳、2018年)は米国の「PHOTO-EYE BEST PHOTOBOOKS 2018」に選出された。 京都造形芸術大学准教授。 支援金の使い道:目標金額は300万円 本書を日英併記で、海外への流通分を見越して4000部を制作するための経費として、約550万円を予定しております。 目標額からプラットフォーム手数料を引いた金額(約260万円)を、その経費の一部に当てさせていただき、それによって価格を抑えることが実現できます。 ・巻末に、ご協力者として、お名前を記載させていただきます(英語表記、ご希望者のみとなります)。 ・ジョナサン・トーゴヴニクからのサンクスレターを同封致します。 ・巻末に、ご協力者として、お名前を記載させていただきます(英語表記、ご希望者のみとなります)。 ・ジョナサン・トーゴヴニクからのサンクスレターを同封致します。 ・前作『ルワンダ ジェノサイドから生まれて』を合わせてお送り致します。 ここには、12年前に母親たちが語った言葉が記されています。 お読みいただくことにより、女性たちが経た傷の深さと、横たわる時間を感じていただけると思います。 ・巻末に、ご協力者として、お名前を記載させていただきます(英語表記、ご希望者のみとなります)。 ・ジョナサン・トーゴヴニクからのサンクスレターを同封致します。 ・竹内万里子の単著『沈黙とイメージ 写真をめぐるエッセイ』(2018年刊)を合わせてお送り致します。 写真を見ること、他者の痛みを想像することを問いつづけ紡がれたエッセイです。 ここには「ルワンダ・ノート」という長い章が設けられ、前作を刊行するまでの思索や、参照した文献の引用を辿ることができます。 ・完成した『あれから——ルワンダ ジェノサイドから生まれて』を1冊お送り致します。 ・巻末に、ご協力者として、お名前を記載させていただきます(英語表記、ご希望者のみとなります)。 ・ジョナサン・トーゴヴニクからのサンクスレターを同封致します。 ・もう1冊の『あれから——ルワンダ ジェノサイドから生まれて』を、ご希望の図書館に寄贈致します。 特定の図書館を希望されない場合は、寄贈先を小社にお任せください。 書店さまや個人で本の流通を応援していただける皆さまに向けたリターンです。 ・5部以上から1部単位で買い取り可能 ・買い取り回数は制限なし ・買い取り総部数は30部まで ・送料はご負担いただきます。 ・巻末に、ご協力者として、お名前を記載させていただきます(英語表記、ご希望者のみとなります)。 ・ジョナサン・トーゴヴニク、竹内万里子、赤々舎より、サンクスレターをお送りします。 想定されるリスクとチャレンジ 私たちは、今回の『あれから——ルワンダ ジェノサイドから生まれて』の刊行の機会に、 さらにプロジェクトをさまざまなかたちで展開できればと願っています。 たとえば、写真展の開催、関連イベントの開催です。 写真展は、共鳴してくださる方が運営する スペースで、ジョナサン・トーゴヴニクの素晴らしいプリントを通して、母子たちと向き合う時間を体感していただきたく、会場を探し始めています。 テーマゆえに会場を見つけることは容易でありませんが、この本の刊行がそうした道筋を拓いてくれるかもしれません。 ジョナサン・トーゴヴニクは、11月に国連で、この問題についての講演をしました。 彼が前作の刊行時に日本で開催したトークイベントは、人間味溢れる真摯な語り口が、たくさんの反応を引き起こしました。 今回もそのような場をつくり、みなさんと共に想い、考えを巡らす機会をもちたいと願っています。 目標金額を満たした場合、以上のようなことにチャレンジし、さらに歳月を超えてこのプロジェクトに携わってゆく礎にしたいと考えています。 目標金額に満たなかった場合、和英併記という趣旨は変えず、部数を減らして、書籍の制作を進めます。 さいごに 遠い地平から聞こえる声に耳を澄ませて 出会ってしまったことを、なかったことにできなかったジョナサン・トーゴヴニクによって、 このプロジェクトは始まりました。 海外の書店でたまたま手にした一冊に衝撃を受けた竹内万里子によって、前作『ルワンダジェノサイドから生まれて』の日本語版は生まれました。 ルワンダの母子たちの肖像と言葉は、人々を揺さぶり、問いかけ、時に生きる力すらもたらしてきたと感じます。 同じ時代に、同じ地平の上にある私たちは、互いに静かに耳を澄ませ、その存在から多くを汲み上げていきたいと願っています。 何ひとつ終わっていない——その思いを胸に、今回は、ここから世界に向けて発信していきたいのです。 あなたのご参加を心よりお待ちしています。 クラウドファンディング最後の一日に、写真家の志賀理江子さんから寄せられた文章をお送りします。 志賀さんは、前書『ルワンダ ジェノサイドから生まれて』(2010年)の刊行後、リレーエッセイに参加してくださろうとしていましたが、東日本大震災が起こり、歳月が経ちました。 数年前、遠くから届けられた手紙のように、その原稿を託してくださいました。 そして今、今回の『あれから—ルワンダ ジェノサイドから生まれて』に掲載される母親と子どもたちの言葉を読み、新たに綴ってくださったのが、こちらの文章です。 「ここからさらに語り合うことは、どのようにして可能だろうか。 」 問いをたくさん宿した言葉だからこそ、「ここから」の未来に向けて送ります。 ーーーーーーー 隣人を殺し、残忍な暴力を振るった沢山の人たち。 人は、誰しも条件さえ揃えば、彼らと同じようなことをするのだろうか。 私が、ルワンダ虐殺に関してずっと考えているのは、加害者となった人たちの、犯行に及ぶまでの、心身の経緯だった。 「レイプ」という言葉とその意味を、友人からの噂話で知ったのは、10歳を過ぎた頃、思春期の始まりだったと思う。 お互いを想い合う性行為でも、衝動的に犯されるレイプだとしても、その先には「命」が宿ることがあるという点で同じ・・・この事実は、まだ幼かった私には衝撃的だった。 「赤ちゃん」と「性行為」の「イメージ」は、自分が生まれ育った環境の中においては、少なからずかけ離れたものだった。 だから、人間の場合、「命」は、性行為によってしか繋がれない、そんな当たり前のことに、圧倒された記憶が残っている。 本文中に何度も出てくる「愛」という、一言の言葉。 この言葉にも混乱していたと思う。 もう子供でもない現在でも、どこか生理的に使うことを避けている。 私には5歳の息子がいるが、彼に対しての感情をもし「愛」と呼ぶならば、それは、胸をぎゅっと締め付けられるような強い喜びに似た気持ちだが、それは、時に不安や怒りとして噴出したりもする。 彼までの心理的な距離はあまりに近しく、常に彼のことを考えているので、ともすれば苦しいような、そんな感覚だ。 そして、それ以上に、子どもとは、己への関心を親が驚くほどに求めていると感じる。 「後追い」という時期には、私が一瞬でも視界からいなくなると息子は激しく泣いたものだった。 子と生きる細やかなひとつひとつ、一分一秒の長い時間。 見つめ合い、笑い、泣き、怒り、会話し、寝て、食べて、歩いて、ひたすら一緒にいる。 あまりにも多い様々な出来事としての日々を過ごす。 息子に「僕はどこからきたの?」と聞かれたことがある。 私は、まだ彼が納得するようには答えられていない。 教えることはとてつもなく難しい。 人が成長してゆく過程は実に複雑だと思う。 そして、愛と憎しみのような感情は背中合わせにあると思う。 人間社会は幾度とないジェノサイドを経験しており、だから、ここまでの残忍さをやってのけてしまう人間について考えると、それは裏返っていってしまう。 当然じゃないか、人間はそのようなことをする存在だと、当たり前のように思えてきてしまう。 それらの歴史について、知れば知るほど、ただ絶望し、麻痺してしまう。 この本の中に、「できるだけシンプルに生きたい」と語られた言葉があった。 複雑で困難な状況下において、あらゆる感情を落ち着かせる「理性」が役割を果たすのだとしたら、このような言葉として語られるのだろうか、と思わずにはいられなかった。 そして、さらに、はっきりと、ジェノサイドとは「人間に起きる最悪の事態」であり「だから世界はもう見捨ててはなりません」と語られる。 条件さえ揃ってしまえば、誰しもが加害者となるだろうという恐れや傲慢さに対して、このメッセージは重要であると思う。 だから、重く受け止めている。 ここからさらに語り合うことは、どのようにして可能だろうか。 写真に写る自分の姿は、大体の場合は、自分の想像とは違うものだ。 しかし、これらの写真には役割がある。 ルワンダ財団の3つのMission(使命)のうちのCreate awareness(認識を深める)のためにある。 そういう写真であり、言葉だ。 世界の一部からだとしても、彼らの経験への応答だ。 この本に姿を写す誰もが、「一番辛かったことは、本当のことを知らない状態」と語った。 私たちは、何者なのだ。 恐れ多くも、私も、そのことを知りたい。 志賀理江子.

次の

“AI美空ひばり”の紅白新曲「あれから」が音楽業界で注目の理由

あれ から

その新曲「あれから」をプロデュースしたのは、生前最後のシングル曲「川の流れのように」の作詞を手掛けた秋元康。 肝心の歌声は、深層学習技術(ディープラーニング)を用いた「VOCALOID: AI」を開発したヤマハが担当。 4K・3Dの等身大のホログラム映像上では天童よしみが振り付け、衣装は後に晩年の美空ひばりのトレードマークともなった「不死鳥」コスチュームを手掛けた森英恵が担当した。 VOCALOID(ボーカロイド)と言えば初音ミクで知られる音声合成技術だ。 VOCALOID: AIはAIを活用したその一種で、 ディープラーニング(深層学習)によって歌手独特の癖やニュアンスを含んだ歌声を加える。 メインのAIのほかに、音色、ビブラート、音程、タイミングの4つの機能に特化したAIが配置されている。 目標となる歌手の歌声を収集し、そこに含まれる音色や歌いまわしといった特徴を抽出する。 今回のプロジェクトでは、ヤマハの第一開発研究部が美空ひばり本人の歌や話し声の音源をデータとして使用して、ボーカルパートとセリフパートを作成した。 「この楽譜の文脈を与えたらどう歌うか」というのを想定して歌う点がこのAIの最大の特徴であるという。 開発者のインタビューによると、 異なる音源による音質のばらつきを信号処理技術によって前処理を行ったり、音源分離の技術を用いて歌声の音源に混じった 伴奏音を取り除いたり、ボーカロイドの開発過程で培った歌声のための信号処理技術だけでなく、高度なレベルの複数の技術が要求されたという。 亡くなったアーティストのイメージ使用を巡る議論 「VOCALOID: AI」の仕組みの概念を説明するヤマハの資料。 出典:ヤマハ AIで作られた美空ひばりは一体誰のものか? AIを制作したエンジニアやプログラマーか、美空ひばりの遺族のものか? 著作権は発生するのか。 未だ法整備が追いついておらず、多くが曖昧になっているのが現状だ。 美空ひばりの権利関係については、養子縁組をした息子の加藤和也氏がひばりプロダクションで管理している。 今回のプロジェクトでは加藤氏も関わっているので、権利上の問題はない。 しかし、テクノロジーを使って故人である音楽家のイメージや演奏表現を再現することには、賛否両論がある。 例としては、海外では2016年に亡くなったプリンスが2018年のスーパーボウルのハーフタイムショーにホログラムという形を取って出演するという情報が出回った際に、多くのファンや共演者の反対に遭ったことが挙げられる。 結局、 故人が1998年に行ったインタビューでバーチャル・リアリティーに対する否定的なコメントをしていたこともあり中止になったが、生前懸命に作り上げたイメージを作り変えられたくないアーティスト本人の意思、それを尊重したいというファンや関係者らの感情も問題となった。 特にこれは、プリンスがアーティストによる作品や自身のイメージのコントロールの重要性を主張し続け、音楽業界の「偏った商業主義」と愚直とも思えるほど長年戦ってきたアーティストだったことにもよる。 1989年に亡くなった美空ひばりの場合、本人も録音作品や映像などの著作物の管理については想定できていたと思うが、CGもAIもボーカロイドも一般的ではなかった当時、テクノロジーを組み合わせて歌手としての自分が死後に再現される今日の状況は想像できていなかったはずだ。 これが存命中の歌手であれば、本人がコントロールすることもできるので悩むこともなかっただろう。 美空ひばり本人はどう思っているのか、これで本当によかったのか、我々は想像することしかできない。 彼女はもうこの世界にはいないのだから。 技術力を計るベンチマークとして見る「歌唱力」や「表現性」 紅白歌合戦の公式サイト。 出典:NHK そもそも美空ひばりという天才歌手の歌を真似ることは簡単ではない。 生前、ひばりから直に歌の指導を受けていた歌手の森昌子は、器用なものまね芸でも知られているが、 ひばりのようには歌えないとテレビ番組で過去に語っている。 囲碁の世界ではAIが人間を打ち負かしているが、 歌唱表現においては AIは美空ひばり本人より劣っていることはあっても、それを超えるということは想像し難い。 囲碁の対局のようにゴールがはっきりしていないということもあるが、長年のキャリアを持ったプロの歌手の視点から見ても真似ができないと感じるほどの芸当を、AIエンジニアが演奏家のアドバイスをもらいながら作ったとしても、たった数カ月で超えられるとは思えないからだ。 AIと時代を超えた歌姫である美空ひばりは、最初から別物として見るべきなのだ。 そういった視点で見たとき、美空ひばり本来の高い歌唱力や表現性は、「AIの技術力を計測するためのベンチマーク」として考えることもできるだろう。 今回の紅白出場は、現時点で到達した最高レベルの技術を使ったステージを試す場でもあるのだ。 最新技術の披露の場として存在感を高める紅白 「VOCALOID: AI」の公式サイト。 出典:ヤマハ 近年の紅白歌合戦は、その年の代表的な楽曲を聞くためというより、テレビというメディアを通してその年にどんなことがあったのかを振り返るための番組として、その役割を変化させてきたように思える。 そしてPerfumeのようなアーティストを代表として、日進月歩で進化していくテクノロジーを活用した舞台表現を見る場としても、その存在感を増していることが言えるだろう。 放送メディアとして、NHKはドローン活用やシームレスMRなど特に視覚効果の面で、 Perfumeと紅白という場を使ってここ数年さまざまな実験を行ってきた。 2018年の紅白のパフォーマンスでは、カメラの位置姿勢情報を使ってレーザーを制御し、放送された画面内で特定の位置にレーザーで描画された任意の図形が留まる(会場内では見えていない)演出を行っている。 今回のAI美空ひばりもそういった試みの一つと言えるが、 歌そのもので実験的な試みを行っている点で大きく異なる。 今回はプロデューサー秋元康が候補となった200曲以上の中から新曲「あれから」を選んだという。 楽曲そのもに関して言えば、企画に合わせて昭和の歌謡曲の延長にあるような曲が選ばれたという印象を受ける。 ただ、テクノロジーを使ってAIに歌わせるだけではなく、どうせなら令和の時代に合わせて音楽的にもアップデートした美空ひばりも見たかった。 そうでなければ、ある日ラジオから聞き流すようにこの楽曲を聴いた人がいたとして、AIであることに気づかず「あれ、こんな美空ひばりの曲あったっけ?」と当惑するような紛らわしい存在で終わってしまうと思うからだ。 美空ひばりが昭和という時代に寄り添ったように、AIの美空ひばりが平成と令和という時代をまたいで生きる我々にどう寄り添うことができるのか、というところに私は興味がある。 今回の令和最初の紅白出演がベンチマークとなって今後アップデートされていくであろう、これからのAIひばりにも期待したい。 (本文敬称略).

次の

美空ひばり(AI歌唱)新曲 「あれから」CD NHK紅白直前に発売!

あれ から

それから・これから・あれからの意味の違いとは 「それから」や「これから」といった言葉は、日常生活でも使う機会が多い言葉です。 ふだん何気なく使っているこれらの言葉ですが、よく考えてみると、詳しい意味が説明できないという人も多いでしょう。 そこで今回は、「それから」「これから」「あれから」という似た響きを持つ3つの言葉について、それぞれの意味や違いを詳しく解説していきます。 それからとは 「それから」は、前に述べたことがらに続いて、あとに述べることがらが起こることを示す言葉です。 接続詞の一種になります。 「それから」は、日常生活でもよく使われる言葉です。 具体的には、「朝起きて、軽く近所を走った。 それから仕事へ行った」「とりあえず食事をして、それから遊びに行こう」などのように使います。 「それから」の他の意味合いとしては、前述のことがらに後述のことがらを加えるというものがあります。 この場合は、「パンと、それからバターを買った」などのように使います。 また、「それからずっとふさいでいる」などのように、「その時から」という意味合いで使う場合もあります。 「これから」などとの違いについては、以下で見ていきましょう。 これからとは 「これから」は、「今から後」「将来」などといった意味の言葉です。 代名詞の「これ」と、格助詞の「から」がつながってできた言葉(連語)になります。 漢字では「此れから」「是れから」などのように表記されます。 「これから」もまた、日常で頻繁に使われています。 今後のことについて話題にする際に使われる言葉で、具体的には「これからどうしようか」「まだまだこれからだ」「それについてはこれから考えよう」などのように使用します。 「これから」は、「それから」とは意味合いが明確に違います。 「これから」は「現在以後」という意味ですが、「それから」は上記のように、「過去のある時点から後」という意味合いとなっています。 あれからとは 「あれから」は、「~以来」という意味の言葉です。 前に話題になったことがらが起こった時期を起点として、そこから現在までを表します。 「あれからもう5年経った」「あれから彼に会っていない」「あれからずっと寝ていた」などのように使われます。 「あれから」と「それから」は、意味合いが非常に似ていますが、微妙なニュアンスの違いがあります。 「あれから」は、どちらかというと遠い過去の出来事について使われることが多いのに対し、「それから」は、比較的現在に近い出来事について使われることが多くなっています。

次の