セガ 名越 評判。 先輩社員インタビュー

『新サクラ大戦』に『龍が如く7』! 2020年に向けて飛躍するセガゲームスの取り組みを名越氏に訊く【電撃PS】

セガ 名越 評判

難しい仕事も教育担当制度でクリア! 制作本部 第4スタジオに所属し、アニメの制作進行を担当しています。 ひとつの作品が完成する過程 素材回収から納品まで 、すべてに関わります。 監督、作画・仕上げ・撮影スタッフなど制作に携わるみなさんの満足が得られるまで、修正や再作成を繰り返します。 その上で各工程がスムーズに進むよう確認し、連絡を取り続けます。 地味ですが、要ともいえる仕事です。 まだ入社2年目ですが、最近では、『Dr. STONE』の制作進行を担当しました。 わずか2年目で責任ある仕事を任せてもらえ、やり遂げられたのは、トムス・エンタテインメント 以下、トムス の教育担当制度のおかげと思っています。 入社1年目は、教育担当の先輩がつき、きめ細かく指導していただきました。 些細なことも、気軽に聞けたので、安心して仕事に取り組むことができましたし、私も先輩を見習って、後輩に対応できるようになりたいと心から思っています。 でもそのたびに上司を含めたチームのみんなが、助けてくれて、やり遂げることができました。 まさに「ワンチーム」。 みんなで力を合わせて、ひとつのものを作り上げた喜びや、達成感、充実感は、言葉では言い表せない感動があります。 トムスは、大手のアニメ制作会社だけあって、制作にはアニメ界のレジェンド級のクリエイターが多く関わっています。 日々憧れの方々と一緒に仕事ができ、学べるのは本当に幸せです。 また、トムスでは、ひとり、ひとりを大切にし、みんなで人を育てていくことが、自然に行われています。 とても居心地が良く、モチベーション・アップにもつながり、もっともっと頑張りたいと思います。 チームワークという支えと、ともに伸びていける仲間の存在が、私にとって最高の宝です。 セガやセガトイズなど、ほかの事業を行う関連会社の新卒社員とは今も交流があります。 1つの会社にいながら、日常的に異業種交流会ができるようなもので、人脈もひろがる気がします。 それに、セガ グループだからこそ垣根を超えて協力し、新たなヒット商品をつくり出せる可能性も持てます。 社内の交流もさかんで、グッズ制作担当から、「どんなグッズがあったらいいと思う?」と聞かれることもあります。 自分の意見が採用され商品化されたら、と思うとワクワクし、夢がひろがります。 アニメ制作だけに限らず、グッズの企画・販売や、ネット配信など幅広い商品開発をしているトムスだからこそ、描ける夢だと思います。 アニメが大好きという強みを生かして、アニメファンを魅了する作品をつくる、という自分の夢も実現していきたいです。 13:00 出社。 16:00 帰社。 アニメの背景素材の発注準備をします。 17:00 次工程に連絡。 日程等の進捗確認をします。 明日のスケジュール確認後、退社。

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セガ名越監督「PS5のパフォーマンスは恐ろしい」

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そう、明日はあの魅力的な桐生一馬が帰ってくる記念すべき日である。 本作の総合監督を務める名越稔洋氏は今回も、驚くほどの短期間で、面白さがたっぷり詰まったこの続編を完成させた。 パッケージ 筆者はインタビューに先がけゲームをプレイしたが、映画に匹敵するほどの奥深い物語。 キャラクターたちの感情がビシビシ伝わってくる緻密な精神描写。 アドベンチャーとアクションを絶妙に組み合わせたゲームプレイ。 これらを含むすべての要素においてシリーズ最高傑作といえる「龍が如く3」が明日、全国の店に登場する。 そこで、「龍が如く3」のすごさをもっと知るために、そして本作の生みの親である名越稔洋氏のすべてを知る為に、マフィアっぽいスーツを着た筆者は、セガを訪ねることに。 そう、名越氏にインタビューするという、ものすごく貴重な機会に恵まれたのだ。 社内の一室に通されてしばらくすると、こんがりと焼けた顔がトレードマークのカリスマゲームクリエイターが現われた。 憧れの人を前に、足が少し震え始める。 「落ち着いて」と自分に言い聞かせながら、待ちに待ったインタビューをスタートさせる。 本稿では、「龍が如く3」にまつわる話題や名越氏の人物像について一問一答形式でお話を伺ってきた。 すごいゲームの裏には、必ずすごい人がいると筆者は確信している。 そのテーマ、舞台、主人公の秘密とは? ジョン・カミナリ(以下、カミナリ):こんなに豪華なキャストをテレビゲームで起用するのはたぶん初めてだと思うのですが、役者さんたちを指揮する気持ちはどうでしたか? 名越稔洋氏(以下、名越氏):キャスティングは僕で、収録を担当するディレクターがいて、彼がキャストに与えた演技のイメージが違えば、僕がコメントするんです。 でもキャリアのある役者さんだと、自分の解釈をプラスアルファするので、逆に自分たちが気付かなかったこともあります。 いろいろな発見があって、とても面白い収録ですよ。 収録しながら作っていく感じですね。 表情にニュアンスと深みを持たせるために1、2カ所、必ず手を加えているという カミナリ:「龍が如く3」の予告動画を見たのですが、キャラクターたちの表情がすごく自然でリアルだと思いました。 もぬけの殻のような主人公のゲームがたくさん出ている中で、桐生たちの存在感には感動しました。 ポリゴンのキャラクターに命を与えるのは難しいことでしょうか?もしかして、モーションポートレイトを使ったのですか? 名越氏:モーションポートレイトではなく、セガで作ったオリジナルのエンジンがあるんです。 それがツールとしては非常に優秀なんですが、それでもキャラクターに命を与えるのは難しいですね。 ツールで作れる部分にはどうしても限界があるので、どのシーンも最終的には必ず人の手が加えられてます。 例えば泣き、怒りという部分でより微妙な感情を表現したいと思うと、ツールで動かせる分量では足りないですから。 カミナリ:桐生一馬はものすごく魅力的な主人公だと思いますが、彼を作る上で、昔の映画からインスピレーションを受けたことはありますか?個人的には、チャールズ・ブロンソンとスティーブン・セガールの間のキャラクターだと思うのですが。 名越氏:やはり日本の昔の任侠映画ですね。 強きをくじき、弱きを助けるという芯の通った強い生き方をする男。 だけど、強いがゆえに皆から避けられるし、本人も不器用で周囲とうまく付き合えない。 無骨な良さっていうか、昭和のかっこいい男を目指したので、特定の人というよりは、あの人のああいう部分、この人のこういう部分をコラージュして、僕なりのベストを組み合わせた感じです。 それができるのがCGの良さかな。 最初はもっと怖かったんですよ、見るからに悪党みたいな。 ただある日考え直して、これはこれでかっこいいんだけどユーザーが感情移入するのにハードルが高すぎるなと思って、ちょっと抑えたんですよ(笑)。 桐生と遥はどちらも不完全な人間という。 補い合うことで、どんな困難にも立ち向かうことができる。 人間は助けあうからこそ人間なんだというのも、本作のメッセージの1つなのではないだろうか カミナリ:「龍が如く」シリーズに欠かせない存在のひとつは遥だといえます。 名越さんにとっては、遥は何を意味しているのですか?自分の人生の特別な人物と重なっているのでしょうか? 名越氏:僕にとっては、遥と桐生が2人で1人の人間なんです。 ゲームでは桐生は強さの象徴として描いていますが、それでも彼にも弱い部分があって、それを補うことのできる存在が遥なんです。 もちろん、桐生が遥を支えることもあります。 本当に大切なものを補い合うという彼らの生き方に共感してもらえたらいいなと思って、コントラストのある存在にしています。 僕の特別な人物と重なってはいないけどね。 まだ子供もいないし(笑)。 「龍が如く3」の舞台を作るために、名越氏は初めて沖縄に行ったそうだ カミナリ:沖縄も舞台にしていますが、実際に沖縄で取材を行なったのですか? 名越氏:前作が大阪だったから、また大きな都市、名古屋、札幌、福岡などでやるよりは、もうちょっと意外性のある場所を舞台にしたいと思って。 候補で沖縄が挙がって、確かに日本人にとってはすごくアイデンティティの高いロケーションなのでいいかなと。 もちろん実際に見に行きました。 正直に言うと僕も沖縄は知ってはいたけど、行ったことはなかったんですよ。 行ったことで初めて、いろいろなスポットがあることとか、外国人にしても、六本木とはまた違う雰囲気を持っていることがわかりました。 もちろんリゾート地だから昼間はすごく爽やかな雰囲気なんだけど、その独特なコントラストのあるロケーションがドラマを書けそうなエネルギーを持っていたので、一気に書き始めたんです。 カミナリ:ロード時間がすごく短くなった本作ですが、やっぱりテンポはアクションゲームには欠かせない要素の1つだと思いました。 「龍が如く3」はその他に、なにが進化したのでしょうか? 名越氏:まずはロードをシームレスにしたこと。 あとは細かいAIはすごく進化したので、シームレスにするとバトルが始まった時、周りで歩いている人間たちが綺麗に逃げなきゃいけないし、あと人が避けるとか、リアクションにおけるバリエーションがものすごく進化したと思いますね。 街で行動する臨場感は、飛躍的に向上したところですね。 カミナリ:前作と同じように、パートナーと協力して敵と戦えるのでしょうか?そうでしたら、新しいアクションはありますか? 名越氏:ありますよ。 格闘技場でトーナメントもできますし、アクションに関しては、それだけを一年中考えてる担当者がいるので、彼らの知恵の結集、結果をぜひ見てあげて欲しいなって思います。 カミナリ:プレイスポットもさらに充実している本作ですが、名越さんのオススメのプレイスポット、あるいはサブストーリーはどれですか? 名越氏:全部面白いんだけど……今回初めてカラオケが入りました。 単にリズムゲームじゃ面白くないから、女の子が歌ってるときに、桐生が合いの手を入れたりします。 桐生はこれまで、どちらかというとコミカルなところとかファニーなところはカットしてきたんだけど、カラオケだけに関しては、ユニークなテイストを持っているので、今まで見られなかった桐生の側面が見られるのはオススメです。 彼も歌います。 UFOキャッチャーも取りやすくなったという意見が多かったかな。 主人公だけでなく、敵のセリフにもすごく気を使っているという カミナリ:名越さんにとっての、「名セリフ・名場面ベスト1」を聞かせて頂けますか?私は特に1作目の桐生一馬の「運が悪かったんだよ、おまえらは」というセリフが頭からずっと離れません。 名越氏:僕の場合は毎回、ベストなセリフは敵が言ってるんですよ。 今回も敵の言葉が1番好きですね。 僕は、敵も愛すべきものにしたいんですよね。 それぞれが使命を持って動いてるんだけど、悪い奴にもいいところはあるし、いい奴にも悪いところはある。 遥と桐生の関係じゃないけど、一方的なもので決められてしまうとやはりドラマって深くならないから。 それを掘り下げていくと悪い奴のセリフって、むしろ心に染みるものが生まれやすいんですよね。 だから、もちろん桐生のセリフは最高に気を配っているんだけど、それと同じか、それ以上に敵のセリフにもものすごく気を使ってます。 自分で書き直すのは敵のセリフが一番多いですよ。 カミナリ:名場面は? 名越氏:大体においてラストシーンなんで、それを今語る訳にはいかないかな(笑)。 カミナリ:「龍が如く3」で実現したかったけど、実現できなかったことはありますか? 名越氏:今の段階でのベストは尽くしたので、後悔はないですね。 またちょっと時間が経つとたぶん浮かんでくると思います。 「龍が如く」の時は逆にもっとできたなという気持ちはあったんですけどいい結果が出たし、「龍が如く 見参!」の時はロード画面を短くしたかったんですけど、スケジュールの問題でできなくて、でもやろうとしているドラマの中でここまでやらなければいけないレベルを超えた感じはしています。 でも、ユーザーから『ここはどうしてこうなの?』っていう意見が聞こえてくれば課題も増えていくし、自分自身でもここはこうしておけばよかったみたいな、時間が経つと見えてくるものはあると思います。 カミナリ:私はギャング映画の大ファンですが、イタリアと日本を舞台にした「龍が如く」というのはいかがですか?遥がマフィアに拉致されて、桐生一馬が南イタリアに行くというストーリーはありえないかもしれないですが、逆に外国も舞台にすることで、ヨーロッパやアメリカのユーザーたちに「龍が如く」シリーズをもっとアピールできるのではないかと思います。 マフィアVSヤクザの「龍が如く」……いかがでしょうか? 名越氏:いいですねぇ、面白いと思いますよ。 ただ「海外」を作るのが大変なんですよね。 ここで欲を出していくのか、それとも日本人に対して伝えることってまだたくさん残ってるから、それを大事にしていくか……今すぐには結論は出せないですね。 もっとメジャーになれば、海を越えるっていうのも面白そうだけど、一方で売ることも大切だから、僕自身どう展開するのが正しいのかというのは毎回悩んではいます。 海外に向けてアピールする方法が全くないとは思わないですけどね。 海外を視野に入れることで、当然たくさんの意見を取り入れるでしょうし。 でも意見を取り入れることでブレていくこともあるから、そこが難しいですよね。 海外の意見を聞いていないから、ブレなくてかっこいい部分もあるわけで。 そこが本当に難しいです。 カミナリ:「龍が如く3」もHAVOCを使っていますよね。 このミドルウエアにこだわっている特別な理由はありますか?将来的には、このシリーズをさらに進化させるためには、もっと強力なエンジンが必要だと思いますか? 名越氏:HAVOCではないけれど、似たエンジンを使ってますね。 強力なエンジンは必要ですね。 物理エンジン単体の話ではなくて、AIをもっと進化させる為に、モーションフィージックスという面はもっと評価していかないといけない。 僕の頭の中では、今の技術のおおよそ完成形に近いものが、「龍が如く」でできていると思うので、ここから先が一段違う世界だと思っています。 カミナリ:名越さんは非常にクオリティーの高いゲームを驚くほどの短期間で完成できるクリエーターとして世界中で評価されているのですが、今までのペースからすると、もしかして、次の「龍が如く」の開発はすでに始まっているのではないかと推測しているのですが……。 名越氏:ナイショです(笑)。 それは、名越さんの考え方と一致しますか? 名越氏:僕たちが生きている国って政治によって成り立っていますよね。 勝手に成り立っているわけじゃないんだから政治に不満があれば、政治に文句を言わなければいけないと思うんです。 世の中をリアルに生きていくっていう意味では、もっと新聞とかニュースにも目を向けるべきだし、それで何かを思いつけば、何らかの形で表現するべきだと思います。 今回取り上げたテーマが僕のメッセージそのものではないけれど、世の中で起きていることについて無関心な人が結構多いから、そういう意味では現実社会にもっと目を向けようというメッセージにはなっていると思います。 カミナリ:アサガオという養護施設で子供たちの面倒をみることになった桐生一馬ですが、名越さんは桐生を通じて、大事なメッセージを送りたいのではないかと、個人的に感じました。 「龍が如く3」の敵は、ヤクザだけではなく学校でのいじめを始めとした、日本社会の問題でもあると思います。 桐生は日本人のあるべき姿を表現しているのでしょうか? 名越氏:僕は、今の日本の問題を色濃く出せるように気を配っているつもりです。 大きい話題もミニマムな問題も、すべてを合わせて1つの現実だから、それをいろんな形で表現できるミッションを作りたいという気持ちは昔からあったんですよ。 現代の子供の社会と自分が子どもだった頃の社会って絶対違うと思うから、(ゲーム内の)子供たち1人1人にちゃんとエピソードを与えて、そこで子供たちのたくましい姿を見たり、またその面倒を見ることによって、いろいろな問題に対して正面を向いて考えるきっかけになってくれればいいなという気持ちはあります。 「もうちょっとしたら、みんなゲームで1度は泣いたことがある中で死んでいくと思うんですよ」と語るように、名越氏もゲームは映画と同じように扱われる時代がくると信じている カミナリ:「龍が如く 見参!」の、ある感動的なシーンを見て、私は初めてゲームで泣きました。 例えば、宮崎駿監督のアニメで泣くのは当たり前のように思えるのですが、ゲームで泣いた、または笑ったと友達に言ったら、現状ではバカにされることもあるかと思います。 それは、テレビゲームという媒体はまだ見くびられているという証だと確信しています。 ゲームも芸術の1つとして認められる時代が来ると思いますか? 名越氏:(ゲームは)映画やドラマほど認められてないだけで、もう認められ始めていると思うんですよ。 今の僕らより若い世代がゲームで泣いたことはあると思うんだけど、僕らよりもっと上の世代はゲームで泣くなんてことはありえない世代なんですよ。 でもこれは時間が解決してくれるから、20年後くらいには、みんなゲームで1度は泣いたことがある中で死んでいくと思うんですよ。 そうなった時に初めてゲームはエモーショナルな媒体として普通に認められる時代がくると思います。 カミナリ:映画と同じように? 名越氏:そうです。 僕がメディアやイベントに顔を出すようにしているのは、ゲームってすごいことができるんだよ、いいものなんだよということを作り手がもっとアピールしていかなきゃいけない部分もあると思っているからです。 そういうことをやっていけば、そんなに遠くない未来に、当たり前のように認めてもらえる日が来ると思う。 時間が経てば認めてもらえるとは思うけど、できることなら早くその日がきて欲しいので、僕も一生懸命努力しています。 カミナリ:「龍が如く3」は映画のようなゲームだと言っても過言ではないと思うのですが、名越さんの次のステップは映画監督ですかね?日本のクエンティン・タランティーノになれると思います。 名越氏:いやいや(笑)。 次もその次もゲームデザイナー、クリエイターですよ。 ただ、全く無関係のことをやっても意味がないけれど、他のクリエイティブなコンテンツに触れることで、メインの仕事が深まることはあるから、関われるんだったら何でも関わりたい。 それは映画に限らずやっていきたいという気持ちはあります。 ただやる以上は1つ1つしっかりやらないと、手をつけてはみたもののいい加減な結果しか残せないのだとしたら、時間も無駄だし、悪い評判も作ってしまうから。 やる以上は自分でできると納得して、そこでいいものをつかんでゲームにフィードバックしたいと考えています。 カミナリ:「龍が如く 劇場版」の三池崇史監督とお会いしたことは? 名越氏:もちろん(あります)。 彼は、頭でも撮ってるし、体でも撮っているので、そういう意味では非常にバランスがいいんでしょうね。 よく考えて撮ることもあれば、考えていても話にならないからとりあえず撮ろうよという時もあって、だからあんなに大量に作品を生み出せるし、変に肩の力が入ってないですよね。 あの人の作品の魅力は、そういうスタンスから生まれてくるんだと思います。 非常にテンポのいい、フットワークのいい生き方をしている人だと思いますよ。 名越氏いわく、外国人と日本人のゲームの作り方は異なる部分がたくさんあるという。 ただ、動く、休むというテンポ感が日本人と欧米人では圧倒的に違いますよね。 日本人には、欧米人向けのゲームのテンポは忙しくて飽きる傾向にあると思うんですよ。 そこを肌で感じて身につけていくのは大変そうですね。 (外国人クリエイターがマネできないこととして)1番はその逆で、日本人の間の取り方とか理解しづらいだろうし、ドラマシーンにしてもセリフの数が日本のゲームのほうが圧倒的に多いと思う。 でも実際には、それぞれがそれぞれの国民性に合わせてベストを尽くしているから、比較しづらいですよね、同じ土俵じゃないから。 カミナリ:名越さんの思い出のテレビゲームってありますか?ゲーマーとしての人生を変えたゲームというのもあるのでしょうか? 名越氏:今も昔も「スーパーマリオブラザーズ」ですね。 それを超えるものはないかな。 たまにファミコンのゲームをやる機会があると、おおよその原点はファミコン時代ですべて一応できていたんだと再認識します。 そういう意味では、あの時代が青春だった世代(30代から40代)はちょうどゲームクリエイターとして脂がのってきているから、最近(ゲーム界に)恩返ししなきゃいけないという気持ちはすごくあります。 カミナリ:2009年の抱負を教えてください。 またこれから挑戦したい新ジャンルはありますか? 名越氏:新ジャンルは1つやりたいと思っているんですよ。 タイトル数でいうと、企画の原案から含めれば2、3本計画しているものがあるので、今の段階からもうこの状態で、既にパニックなんです(笑)。 なので、今年は忙しい1年になるとは思ってるんですよ。 「龍が如く3」がすでにいい感じにきてるので、次はもっと上を目指さないといけないし、去年よりハードになりそうな今年を何とか凌いでいこうと、今は気合で乗り切ろうみたいな雰囲気ですかね。 僕自身もそうですけど、スタッフにも毎回毎回自信がついてるので、それは非常にいいことかな。 「龍が如く3」は、現時点で名越氏たちのできるすべてを凝縮しているゲームだそうだ カミナリ:最後に、読者へのメッセージとして「龍が如く3」のすごさをアピールして下さい。 名越氏:現時点で「龍が如く」チームができる最高のゲームになりました。 テクノロジー的にも最も高度なことが詰まっているゲームだと思います。 僕はドラマとしても、1作目の「龍が如く」に近い感動的な作品を作りたかったので、それに近いものにはちゃんとできたと思います。 「龍が如く」と聞いたら、みんなが期待してしまういろんな要素が、何ひとつ裏切ることなく詰まっていると思います。 相変わらず短い制作期間でしたけど、くじけることなく、いい結果が出せていると思うので、ぜひ最後まで遊んで貰いたいなと思います。 カミナリ:今日はありがとうございました! 名越さんと記念撮影 記事の冒頭に書いたように、すごいゲームの裏には、必ずすごい人がいる。 名越稔洋氏という人物がいたからこそ、「龍が如く3」というすごいゲームが生まれたと思う。 名越氏は、セガの中でもトップクラスのゲームクリエイターであるにも関わらずものすごく腰の低い方だと、会った瞬間から思った。 その謙虚な姿勢に驚かされた。 外国人ゲームクリエイターは、「我々のゲームはすごい」とか「我々は1番」という発言をすることもあるが、名越氏の場合はインタビューの最初から最後まで、控え目なコメントばかりだった。 有名になっても偉くなっても、ずっと謙虚な姿勢でこれからの仕事に挑まなきゃいけないということの大切さを筆者に再認識させてくれた。 名越氏は「龍が如く3」という大作の開発を終えたにも関わらず、休暇は取れないと仰っていた。 すでに、いくつかの新しいプロジェクトに取り掛かっていると。 それもすごいなと思った。 自分の作品への愛情、情熱。 その素敵な気持ちがあるからこそ、思い出に残るゲームが誕生するわけだ。 最後に、名越氏についてのもう1つの感想。 写真で見るかぎり、怖そうな感じというか、本当に桐生一馬みたいな人なのかも……という印象があった。 しかし実際に会ってみると、まったくその逆の人物だと感じた。 ものすごく真面目で、律儀な人だと思った。 このように外面と内面とのギャップから生まれる独特なコントラストが、名越氏を本当にユニークな人物にしていると思う。 【Reported by ジョン・カミナリ】 芸名:ジョン・カミナリ 国籍:イタリア 年齢:33歳 職業:俳優、声優、タレント、テレビゲーム評論家 趣味:テレビゲーム、映画鑑賞、読書(山田悠介)、カラオケ(アニメソング) デビュー作品:銀幕版スシ王子!(ペぺロンチーノ役) ブログ: イタリアで6年間テレビゲーム雑誌の編集部員として働いたあと、新しい刺激を求めて2005年に大好きな日本へ。 子供の頃から夢見ていた役者の仕事を本格的に始める。 堤幸彦監督の「銀幕版スシ王子!」で個性的なマフィアのボス、ぺぺロンチーノを熱演。 現在もTVドラマやTVゲームなどで、俳優・声優として活躍中。 日本語を勉強し始めたのは23歳のとき。 理由は「ファイナルファンタジーVII」や「ゼノギアス」などのRPGの文章を理解するため。 好きなジャンルはRPGと音楽ゲーム。 「リモココロン」のような個性的なゲームも大歓迎。 お気に入りのゲームは「ゲームセンターCX」と「ワンダと巨像」。 芸名はイタリア人の友達に、本人が雷のように予想不可能なタイミングで現われるからという理由で付けられた。 ゲームのポイントを改めて紹介! 後編:バトルから「キャバクラ ~『No. 1 キャバ嬢をつくろう! 』」まで 【2月3日】セガ、PS3「龍が如く3」。 ゲームのポイントを改めて紹介!

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ペルソナ5 名越「P5は70万本近く売れた」 目黒「実はセガの採用落ちました」【セガ生】

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今回は特別に、そんな名越稔洋氏に時間をいただき、入社から現在にいたるまでに起きたさまざまな出来事、ターニングポイントを振り返ってもらった。 とうとうと語られることになったエピソードのなかには、曰く「いままでは積極的にコメントすることを避けてきた」という、かつての上司でレジェンドクリエイター・鈴木裕氏にまつわるものも! ゲームファンなら一読の価値ありのインタビューです。 そもそも、名越さんが入社したころのセガというのはどんな状況だったのでしょうか? 名越入社当時はまだ2Dゲーム全盛期で。 セガも業務用ゲームではすでに有名になっていました。 何よりメガドライブを出したばかりのころでしたから、「つぎは家庭用! 打倒任天堂!」と燃えていましたね。 俺が入ったのはアーケードの部署だったんですが、ハイテクランドっていうゲームセンターを全国区にすべく、どんどん増やしていました。 ゲーム業界自体の景気もよかったんですよ。 いま思えば、こと業務用のゲームにおいては明るい未来がある程度確約されていた時代だったんですね。 そう考えると、俺は楽な時代に入社したのかもしれないですね。 名越一方で家庭用は、海外で独自のブランド力を持って評価されていました。 タイトルの力では決め手に欠けている部分もありましたが、『』をきっかけに何かが変わり始めて。 「ひょっとしたら、セガは家庭用で任天堂を超えられるかも?」みたいな甘い期待のある、いい時代でした。 ひとつひとつのコンテンツを作るという意味で苦労はありましたけど、それぞれが作っているものにプライドを持って仕事をしていましたし。 「熱いプロ集団だなあ」って思ったことを覚えています。 当時の区分けで言うと、第1が業務用ソフト、第2が家庭用ソフト、第3が家庭用ハード、第4が筐体などのメカ関連、第5が業務用ハード、第6が『』なんかを作っていた教育系、第7がオモチャでした。 第8は当初、第1研究開発部の分室だったところが独立して作られた部署だったので第1と同じように業務用ソフトを担当していました。 その第8研究開発部ができたころに、俺が入社したんです。 第1と第8がどう違うのかと言えば、第8研究開発部っていうのは体感ゲーム専門のチームだったということですね。 当時の俺のイメージとしても「セガと言えば体感ゲーム」というものだったので、そこに所属できたことはうれしかったですね。 反面、第8研究開発部は鈴木裕さん率いる社内でもトップクラスのチームだったので、「なんで俺がここに配属されたんだろう?」みたいな疑問とか不安はありました。 後から聞いたところ、このチームは、鈴木裕さん本人が直接欲しい人材を決められたという時代で。 いい人材を最初に取れる立場だったらしくて。 だから、仕事のできる人間がすごく多かったんですよ。 だから「なぜ?」という気持ちがすごくあって。 鈴木裕さんに「なぜ俺を選んだんですか?」とも聞かなかったですしね(笑)。 当時は「俺はほかの人よりも知識がない」という強い認識を持っていたぶん、ヘンに自分を出すこともなく。 結果論ですけれど、あらゆることを素直に受け入れて学ぶという姿勢は誰よりもあった気がします。 もちろん専用のグラフィックツールがあって、それを使って作業するわけなんですけれど、みんなデキる先輩だから俺なんかより圧倒的に作業が早くて。 そもそも、俺はそのグラフィックツールの使いかたからして、理解が追いつかないんですよ。 「この機能は何のためにあるんだろう?」みたいなところがスタートだったので。 名越新人なのでお使いみたいな仕事も多く、絵を描かせてもらうチャンスって少なかったんですよ。 30年も前の話なのでもう時効だと思うんですが、昼間はデザイナーの仕事とは関係ないような雑用をひたすらやって、夜になると先輩に「これ明日までにやっといて」なんて言われたりする(笑)。 名越その時点で徹夜になるのは間違いないんですけれど、人がいないオフィスで時間を気にせずじっくり絵を描けるというのは、俺は楽しかったし、価値がある時間だと思っていました。 ただ、一生懸命作ったモノでも翌日見せると「何だこれ」とボツにされたりするんですけれど。 名越そうですね。 ダメと言われるのは悔しかったけれど、実際問題、周りはデキる人ばっかりなんですよ。 冗談抜きに俺の10倍くらいのスピードでいいものを仕上げているような人に言われるわけだから、ぐうの音も出ないわけです。 当時は、「クビにはならないかもしれないけれど、違う部署に飛ばされたりするかもしれないな」くらいのことは思っていました。 ただ、先輩たちはきびしいものの、仕事を教えてはくれましたけどね。 というのも、入社して1年くらいのあいだにけっこうな人数の先輩が……言ってみれば鈴木裕さんに謀反を起こして、会社を辞めてしまうんです。 もともと2チームあったんですが、1チームぶんくらいの人が丸々いなくなって。 同期の中にも、先輩について行って辞めたヤツもいましたね。 その時点で辞めるという選択肢はなかったかな……。 ただ、「会社ってこういうことが起こり得るんだな」とは思いました。 それまでよりもさらに不安な気持ちにはなりましたけれど(苦笑)。 上司の鈴木裕さんも「参ったな」という感じではありましたけど、すぐに前に向くポジティブな人でしたから。 でも、このときが俺のクリエイター人生の最初のターニングポイントでした。 辞めていった人たちというのは、合わない人たちだったんですね。 まあ、そのうちに俺も合う、合わないという問題に直面する立場になるんですけど(苦笑)、最終的には合わなくて部署を持つという形で独立することになる。 歴史はくり返すんですよ。 ただ、くり返す歴史がもたらすモノって悪いモノばかりではないと思うんです。 名越考えかたを切り換えるだけで新しいモノが生めれば、苦労なんてしないんです。 環境とか立場が新しいモノに及ぼす影響というのは確実にあって。 例えば、出ていった先輩を見たとき、俺からすれば若くしていい給料をもらっているように見えたから、「ワガママだな」って思っていたことも事実です。 そこは、自分が鈴木裕さんから独立して部署を持つとなったときにどう思ったかと言えば、「クリエイターとして、ひとりの人間としてがんばっていれば、そういう衝突は必ず起こることなんだな」って思えたし、むしろそれが普通なんだな、と。 これは会社に長く居続けて、くり返す歴史を体験したからこそわかったことだし、その経験があったから生み出せたものも確実にあると思いますね。 名越最初は、Model1と名づけられた業務用の基板を使って『』を作りました。 その後に『』が出ることになるんですが、じつは『バーチャレーシング』が出るときに『バーチャファイター』の基礎となるものはできていたんです。 「これで格闘ゲームが作れる!」っていうのは、若い連中はみんな言っていたんです。 名越かつて『』があり、『』があったように、進歩の象徴は体感ゲームで表現してきたんです。 そんな歴史があるので、格闘ゲームをフラグシップに据えるというのは、会社的に受け入れられない。 また、『』がヒットの兆しを見せていたものの、その焼き直しみたいなものをポリゴンで表現してヒットするのか? という懐疑的な意見も多かったんですよ。 その結果、まずは『バーチャレーシング』からスタートし、その間にモーションテクノロジーの研究を発展させることにしたわけです。 例えば……当時俺たちが使っていたドット絵を打つグラフィックツールは、社内で作っていたんですよ。 定期的にバージョンアップはするんですが、ツールにはマザーボードが入っているので、アップデートのたびにロムを差し換えていました。 ところがある日、鈴木裕さんが「これからの時代はマッキントッシュだ! このツールの中身をすべてマッキントッシュに移し替えよう」と言い出して。 俺はよくわかっていなかったから「わかりました」なんて答えたんですが……そこからが地獄でしたね。 名越まず、マッキントッシュのプログラムを書ける技術者が、当時の日本にはほとんどいなかったんですよ。 名越なので、まずハードウェアを理解してプログラムを書ける人を探すところからがスタートでした。 やろうとしていることと予算を持っていろんな会社に聞いてみたんですが、できないという回答ばかりで……。 なんとか「やれるかどうかわからないけれど、やってみたい」という会社を見つけることができました(苦笑)。 おかげでどうにかこうにかプログラムはできたんですけれど、今度はそのプログラムの処理が遅いという問題が発生したんです。 名越いま思えば、ゲーム業界で最初にマッキントッシュを大量導入したのがセガだったと思います。 100台単位で入れたので。 でも、これまでやっていた手間のかかるグラフィックツールの更新作業がフロッピー1枚でできるようになったので、完成した後にその恩恵がどれだけ大きいかを実感しましたね。 名越そうですね。 ただ、そこの話にはまだ続きがあって。 グラフィックツールを使っていたスタッフは「こんな機能が欲しい」というアンケートみたいなものを定期的に書いていたんですよ。 社内で作ったツールを作っていたときはハードの部署にそれが行っていたんですが、マッキントッシュを導入してからは、それが俺のところに来るようになったんです。 社外の会社との窓口ですから。 名越で、いざそのアンケートを見てみたら「使えない!」っていう意見が大量に寄せられて。 それは慣れ親しんだツールから一斉に新しいものに変わったら、当たり前ですよね。 しかも、当時はApple製品が世界を席巻するなんて思ってもいない時期ですから。 それこそアンケートに「死ね」とかも書かれるくらいでしたね。 ただ、メゲていてもしかたがないので、アンケート回答に書かれた具体的な要望を聞きに行ったりして……。 その時点でデザインの仕事なんてしていないですよね(笑)。 名越たいへんな思いをしてツールを整えたわけですが、それによってもたらされたものは大きかったと思います。 で、そのパソコンをつないだらオンラインになっちゃうわけですから、本当に鈴木裕さんは先見の明があったんでしょうね。 インフラがないときにインフラを見越して何かをやるっていうのは、本当に多難なことなので。 それを入社から数年しか経っていない人間にやらせてしまうのもスゴい話なんですけれども(笑)。 いまでこそ笑い話ですけど、当時は会社に行くのが心底嫌でしたからね。 名越廊下でデザイナーの先輩とすれ違っても、「この人も俺に怒ってるんだろうな」っていう風にしか思えなかったですからね。 ある意味、メンタルは鍛えられました。 そうそう、話はちょっと飛ぶんですけれど、俺が昇進したときに試験があったんですね。 適正と筆記試験だったんですけれど、その筆記試験の第1問が「社長の名前を漢字で書け」というものだったんです。 名越俺、その問題を間違えたんですよ(笑)。 でも試験にはなぜか受かって。 のちに聞いたところによると、適性検査の成績がよかったおかげだ、と。 で、そこからしばらくあいだを置いて、(当時)鈴木裕さんの上司だった鈴木久司さんと話をする機会があったんです。 名越振り返れば耐えられたので、ストレス耐性は高かったんでしょうね(笑)。 話を戻すと、そんなこんなでデザインとは関係のない仕事もこなしつつドットの打ちかたを覚えたと思ったら……気付けばポリゴンの時代に突入するわけです。 会社が採用する学生も、3Dの知識がある人間を多く選ぶようになっていました。 もちろん世の中にはまだまだドット絵のゲームは山ほどある時代でしたけど、セガのなかでも最先端を行くというミッションを背負っていた部署にとっては、ゲームを3Dで作っていくという目標が決まった以上、ドット絵なんて打っていられないわけです。 名越「ポリゴンでゲームを作るということは、いずれテクスチャーマッピングという技術は必要になる」。 会社はそう判断して、俺はドット打ちから、テクスチャーマッピングの開発に関わるようになりました。 グラフィックを進歩させるには、デザイナーの意見というものが必要になってくるので。 名越でも、当時は会議があってもそれこそちょっとしたコメントをする程度でした。 そもそも技術面がよくわかっていないので、強い要望をしても「そんなのできないよ」と一蹴されるような状態でしたね。 ただ、そこから何となく新しいマザーボードであるModel2の開発に携わるようになっていったんです。 やっぱりModel2のときも、そのパワーを世に知らしめるのはレースゲームだろうということで、レースゲームを開発していました。 そんな環境下で、名越さんがどうやって『デイトナUSA』プロデュースをする立場になっていったのですか? 名越当時、Model2の発表会をやることになったのですが、まだ不具合が多くて、お披露目ができる状態ではなかったんです。 発表会を中止するかどうかの瀬戸際だったのですが、「Model2の性能自体は見えているのだから、こういう絵作りができるよね」というシミュレーションをして、それを映像化して流せばいいじゃないか、ということになったんです。 「実機は不具合が多くて動かせないけれど、ウソではないから」という感じで(笑)。 名越あくまでも予想図なんですが(笑)。 で、その映像をトレーラー風にしたかったけれど、それができるスキルを持った人がチームにいなかったんです。 たまたま俺が学生時代に映像を勉強していたので、その映像制作を俺の主導でやることになって。 いま見たら陳腐な映像なんだけど、俺なりに「レースの熱いバトルをここまでリアルに表現できる」という想いをぶつけたものを作ったんです。 そうしたら、そのトレーラーの評価がヘンに高くって。 トレーラーの件もあって「お前がディレクターをやってみろ」と言われました。 そのころはプロデューサーという言葉がなかったので、総合的にゲームを見る立場というのはディレクターだったんです。 当時の俺は、絵もしばらく描いていなかったし、CGグラフィックスのスキルは新卒で入社してきたヤツのほうがあるような状態。 とくに3DCGは石井(石井精一氏。 後に『』を手掛け、株式会社ドリームファクトリーを立ち上げる)に任せておけばいいモノができるので、張り合っても仕方がないわけです。 そんな環境もあったので「ディレクターを経験させてもらえるのであれば、やらせてもらおう」とその話を受けたんですけれど……そこからは吐きそうなほどキツかったですね(苦笑)。 俺はドライブゲームを極める道に進み、石井は『バーチャファイター』を作ることになって。 結果的に石井も、格闘ゲームの自分なりの極めかたというものを求めてセガを辞めてしまうことになるのですけれど。 『デイトナUSA』開発時は、どういったところがキツかったのでしょう? 名越「ドライブゲームとしてのおもしろさ」の答えが見つからなくて、おかしくなりそうでしたね(苦笑)。 いま考えると、いい経験だったとは思うんですけど。 そもそも、マザーボードが完成するまでに2年ぐらいかかっていたんです。 とくに開発初期は、板を表示させてそれがクルクル回っているようなものをずっと見ているような状況で。 俺からすれば「何のことやら」でしたね(笑)。 もちろん並行して企画はずっと考えていたんですけれど、新しいマザーボードでどんなことができるかはわからないので、空想で考えなければならない。 いまなら、パソコンでシミュレートできたりするんですけれど。 名越そうして、2年越しでボードが完成したところで、いままで溜めに溜めたアイデアをぶち込んでいくわけですが、道路があって、ハンドルがあって、クルマが走るという、レースゲームとして当たり前のことができるようになった段階で、「じゃあこのゲームはどこがおもしろいのか?」と悩んでしまったんです。 もちろん、絵は当時としては革新的にキレイだったのですが、「絵は絵でしかない」ということ、「ゲームとしてのおもしろさと絵の美しさはイコールにならない」ということに気付かされました。 本当の意味で初めてゼロから作ったタイトルだったので、いい勉強だったのですが……。 名越でも上司からは「いつになったらゲームができるんだよ」なんていうプレッシャーもかかるわけです。 開発から3年くらいが経つころには、完成しないゲームを前にチームの雰囲気も険悪になっていましたし、俺は俺で「自分にはディレクターはできないんじゃないか」と思い始めて。 ある日、「そもそもこのゲームは何がダメなんだろう?」という話になったんですが、当時のメインプログラマーが「うまく走らせられないものを走らせるからおもしろいんだ」と、禅問答のようなことを言いだして(笑)。 名越そう。 よくよく考えてみればその通りで、失敗する要素が自分のミスくらいしかなかったんです。 というのも、当時の俺は「恐る恐るアクセルを踏んだり、ハンドルを切るようなものってストレスじゃない?」って思っていました。 でも、そのメインプログラマーは「それは現実の話。 ゲームと現実の差は死ぬかどうかの差であって、死なないのがゲームなんだから。 ストレスとは無関係だ」と言ったんです。 もっともな意見ですよね。 そんな中で各担当者が勝手におもしろそうなものを探しつついろいろ見ていって、最終的にみんなが「これがおもしろい」と言ったのが、ドリフトするクルマだったんです。 そこからは、「おもしろさのためなら物理法則も曲げてしまえ!」という発想になっていって「ドリフトが気持ちいいから、長く続けると加速するようにしよう!」と。 名越言わばSFの世界なんですけれど、「現実を超越できるのがゲームだろう」と割り切れて。 そこからの開発はあまり時間がかからなかったですね。 ただ、ある程度できた段階で社内での評価を聞いたら……まあメタメタに言われて(笑)。 「こんなうまく走れないクルマは見たことがない」だとか「どんな物理演算をしているんだ」とか。 「こんなモノを世に出しても売れるわけがない」なんてことも言われました。 でも、意図してそうしているものと、意図せずそうなったものは訳が違うので、社内の評価はいったん無視することにしよう、と。 名越で、試しにロケテストに出してみたら、これがまたバカみたいにインカム(売上)がよかったんです。 名越そうしたら、会社も手のひらを返して「いつ出せるんだ?」、「工場の手配はいつ整うんだ?」みたいな感じになって(笑)。 結果的には大ヒットになったんですけれど。 名越そう、そういう手のひら返しのようなことがあるというのは、じつは『龍が如く』より前に『デイトナUSA』で経験していたんです。 会社の意見も大事だし、会社にいるからこそできることもあるけれど、誰のためにゲームを作っているのかと言えば、お客さんのためであって、会社じゃない。 それは、『デイトナUSA』のときに痛感しましたね。 名越『』はModel3と同時に開発を進めていたんです。 表示できるポリゴンの数や色が一気に増えて画面も綺麗になったし、それなりにはヒットしたんですけれど、俺は当時怖くてしょうがなかった。 名越その根拠は「Model3だから」っていうことなんですが、俺としてはみんなが言うほどのヒットする根拠が『スカッドレース』に見出せなかった。 「それなりにヒットはするだろうし、評価もされるだろう」とは思っていたんですが、それが『デイトナUSA』以上かと言われれば、そこまでではないだろう、と。 手もとの数値で売り上げ予想を考えてもヒットの根拠に乏しかったですし。 当時は売り上げ予想といっても、「全国にお店が何店舗あって、体感ゲームが置けるスペースがどれくらいで、お店の筐体入れ換えタイミングはこれくらい。 だから逆算でこのくらいのインカムがあればいいだろう」というような、ざっくりしたものでしたけどね。 名越社内的にはそうした売り上げ予想が一定の水準に達する見込みがあれば、ゲームをリリースすることはできます。 でも、比較対象の『デイトナUSA』のヒットがあまりにもスゴすぎた。 時間をかけて達成したものですけど、最終的に200億円くらいの売り上げだったかな? まあ、当時は「すげえな」思いつつ、あまりピンときていなかったんですけれど。 で、蓋を開けてみれば、『スカッドレース』はその半分を下回るくらい。 それでも充分ヒットなんですけどね。 会社には怒られちゃうんですよ(笑)。 ただ、やっぱり自分でも『デイトナUSA』に届かないだろうと思っていたところがあるわけです。 届かないのはわかるけど、どれくらい届かないかがわからないという感じ。 会社的には「届くようにするべき」なんでしょうけど、その手法も見出せなかった。 いま思えば、当時は稚拙だったな、と思う部分はありますね。 加えて、そのくらいの時期から「俺は一生ドライブゲームを作り続けていていいのか?」っていうふうにも思い始めて。 当時の評価で言えば「ドライブゲームは鈴木裕さんにしかおもしろいものは作れない」というものだったのですが、そこに風穴は開けられたし、それはそれでよかったと思うんです。 けれど、ほかのこともしてみたくて。 ある意味、いまのMO的な遊びかたができました。 名越当時はオンライン環境もいまほど整っていなかったから、ゲームセンターという環境がもたらす遊びかただとは思っていて。 ただ、インカムがあまりよくなかったのが欠点でしたね。 100円で長時間遊べちゃうので。 名越あとで聞いたところ、『スパイクアウト』を撤去するとお店にお客さん自体が来なくなるらしくて、しばらくは置き続けたみたいですけれど(笑)。 名越これまで積極的に鈴木裕さんに対してコメントをすることは控えてきてたんですが……いまだから言えるという感じでいいかな(笑)。 正直、鈴木裕さんから学んだことは多かったですね。 即効性のある出会いを求めようとか、相手を選ぼうとすると、人や仕事を選ぶダメな人間になってしまうよって話したんです。 で、話を戻すと、俺にとっての価値のある出会いだったのが鈴木裕さんですね。 当時はよく怒られたし、怒っている理由もよくわからなかったし……。 「なんて勝手な人なんだ!」って思ったこともありました。 正直、恨みに思ったことも瞬間瞬間ではあったかなあ(笑)。 不満とか恨みって、時間が消してくれるんですよ。 だから、いまは負の感情はゼロ。 そして残ったものと言えば、鈴木裕さんに教えてもらったことのありがたみしかないですね。 だから、価値のあった出会いだし、30年経ってそう言い切れるようになったんです。 ちなみに、最初に鈴木裕さんに出会ったときはどう思われたのですか? 名越会ってすぐわかったのは、「この人ってスゴい人だな」ということですね。 ただ、「こういう人に限って、世の中は絶対理解しないんだろうな」とも思いました。 その予感が的中していたということは、時間が経つにつれて嫌というほど思い知らされるんです。 そうなんですか! 名越正しいことを正しいと貫き通すんですから、そりゃ揉めますよ。 名越そう。 本当に純粋な人なんです。 あとは、何かのために何かを犠牲にするということを考えないですね。 例えば「Aはカッコいいけどわかりづらい。 Bはわかりやすいけどちょっとダサイ。 どうしよう?」なんて話を現場でしていても、「カッコよくてわかりやすくしろ」としか言わないし、それ以外の結論は絶対に許さないんです。 名越「そうは言っても、もう時間がないんです。 このままこれが世に出てしまってもいいんですか?」なんて言ってもダメ。 「時間がなくなったのはお前たちの責任だろ!」ってガンガン怒られて。 半泣きになりながら考え直すとか、そういうこともありましたね。 そのうえ、結果的にいいと思えるモノができたらできたで「これだけのことができたんだから、もっとできるよな!」って言われてOKが出なかったりするんです。 名越「試されていたんだ」という腹立たしさと「じゃあやってやるよ」という反骨心で、またがんばることになるんですけれど。 人の焚きつけかたも知っていたんでしょうけれど、独特でしたね。 それに合う人は鍛えられてどんどん伸びていくんですが、合わない人も当然出てくると……(苦笑)。 名越鈴木裕さんは、とにかく純粋に高みを目指してモノを作りたいだけなんです。 クリエイターとしてそれが悪いはずはないんですが、あまりにも純粋なものって……時として人を傷つけるし、理解されないこともある。 名越逆に言えば、純粋さがもたらすものがどんなものかという勉強にもなりました。 でも、いまになって思うと、俺も鈴木裕さんのようなことを言っていることがあって。 2択や3択で物事を決めようとしている段階で、小さい選択をしようとしているのではないかという恐怖は理解できるし、あのとき鈴木裕さんが言っていたこと、叱られたことの中身というのは、ものすごくよくわかるようになったんです。 やっぱり叱るときも痛いところを突いてきますからね。 名越同じ作り手だから、こちらが弱いなと思っている部分をわかって叱るんです。 だからこっちはぐうの音も出ないわけで。 「本当にこれがいいと思っているんだったら、この仕事辞めたほうがいいよ」なんてバサッと言われたりすると、悔しいと思いますし。 でも、言われてよくなったことを実感すると「悔しいけど、あそこで言われなかったらこうならなかったな」っていうものが残るので。 当時は「いつか越えてやろう」と思うことの連続でしたけど、いまは「ありがたい」という感情しかないですね。 ゲーム作りのイロハを教えてもらったので。 名越そうですね。 開発中の筐体に乗り込む前から文句を言い出したりして「とりあえず乗ってもらえませんか?」みたいなこともありましたけどね。 乗ってくれても、ハンドルをちょっと切っただけで「ダメ」って言われて。 何がダメかも言ってくれないですから。 ややこしい割烹の大将みたいな感じでしたね(笑)。 だからこそ、「この人に褒められたい」という弟子の気分でした。 せいぜい「まあいいよ」くらいでしたから。 そもそも、他人が作っているものより、自分が作っているもののほうが遥かに強い興味を持っている人でもありましたね。 これは愚痴とかじゃなくて笑い話なんですが、自分でゲームを作るようになってから相談に行ったりしても「それはいいから、これどう思う?」みたいな話にしかならないんです。 しかもそれに対して俺がコメントをしたらしたで、「そうか。 じゃあお前のチームから人を出してくれない?」みたいなこともありましたし(笑)。 実際にメンバーを送ったんですか。 名越期限付きで送りましたよ。 送り出したメンバーには恨まれましたけど(苦笑)。 名越人としての評判は賛否がわかれる人でしたね。 ただ、モノ作りっていうのは真剣勝負で、突き詰めると人間性がどうかなんて関係ないんですよ。 そういう評価基準みたいなところも鈴木裕さんを見ていて覚えたところもありますし。 モノ作りにおいては、いい人でいる必要なんてどこにもないって思うようになりました。 名越『』なんてそのいい例ですけど、あんなに高い理想を持ってゲームを作ろうとすること自体がある意味どうかしているんですけど、それをやろうとした人であり、実行した人ですからね。 チャレンジにはワクワクと恐怖がついてくるものだと思うんですけれど、鈴木裕さんはどんな状況においてもワクワクが勝っているので、恐怖についていくら説明したところで止まらないんですよ。 「失敗したら死ぬかもしれないんですよ?」って言っても、「でも、生きてたらこれが手に入るんだぜ?」って言う人なので。 名越クリエイターとしてはそれが正しいですし、ふつうの人は勝てないですよね。 生き様としては、いまだに魅力のある人だと思います。 鈴木裕さんがいなかったら、ゲーム作りのきびしさも楽しさも理解できなかったと思うので。 あとは、あらゆる場面で本質的なところを教えてくれた人でもありましたね。 例えば、「何で筐体のハンドルの位置はこの高さじゃないとダメなの? レバーの位置は何でここなの? 誰が決めているの?」みたいな話にもなったりして。 「女の子が筐体に乗らない理由はスカートの中が見えるからだとして、どうやっても見えてしまうから諦めるのと、見えないものを作るのとでは、どっちが価値が高いと思う?」なんて話もされて。 俺たちはゲームの中身を作ることが仕事でしたけど、鈴木裕さんはそうしたユーザー体験までを含めて、ひとつの製品として捉えていて。 そういう意識を持たせてくれたりもしましたね。 名越さらに、遊ぶ人が不満に思っていることを取るだけじゃダメで、それを越えたものを作らなきゃダメなんだよ、ということを教えてくれたり。 いまで言うマーケティングの観点ですね。 絶対にマーケティングの本なんて読んでないはずなんだけど(笑)、直感的にそれがわかる人でしたね。 純粋だからこそ、純粋な疑問の積み上げを自分なりに解決し続けてきたんでしょう。 それが俺にとって新鮮だったし、自分でもそういうふうに考える癖がついてきて。 疑問に思ったことをいっぱい人に聞くようになりました。 そうやって理由を探っていくと、そうせざるを得ない事情があったり、単純にお互いが気付いてなかったりで。 それが後者であれば、よりよく改善できたりしたこともあって。 当たり前のところから疑っていくということが大事なんだと思わされましたね。 ちなみに、鈴木裕さんと同じくらい、根本的なところから名越さんに影響を与えた方はほかにいらっしゃいますか? 名越いないですね。 俺がゲーム作りをするうえで、鈴木裕さんほど大きな影響を受けた人はいないです。

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