タコ の 脳 の 位置 っ て どこ。 第2回 まるで宇宙生物! イカを解剖してみよう

タコの心臓は3つ!脳みそは9つ!ハイスペックなタコの生体に迫る

タコ の 脳 の 位置 っ て どこ

こんにちは、海洋生物学が専門のしずくです。 クラゲって神秘的な生き物ですが、どうしても脇役な感じがしますよね; わたしが水族館などでクラゲの世話してた時も、すごい数のミズクラゲが入ってる水槽がありましたが、地味な感じでした・・・(^^;) でも最近になって、ついにクラゲが盛り上がってきましたよね!!! そう、 「加茂水族館」の登場で!!!! 加茂水族館はもとは普通の水族館でしたが、なんとか特徴ある水族館にしたいなぁとクラゲ水族館として生まれ変わったんですよ! 行きたい、いや行きます(確定) しかしここで、海洋生物を専門とする血がさわぎ出しました。 クラゲの魅力は分かってもらえても、クラゲの生態や体の構造などは分からない方が多いんじゃないか!? 本当に不思議な魅力満載です!これでクラゲ人気にもっと火がつくはずー! ということで、知って面白いクラゲの生態・体の構造についてごらんくださいっ(^^)ノ 目次• 不思議なクラゲの生態!でかくてもプランクトンの仲間 プランクトンって、 すっごくミニマムなサイズの生き物だというイメージがありませんか?? 実はプランクトンの定義ってサイズじゃないんですよね! なのであんなクラゲも・・・。 プランクトン、つまり浮遊生活をする仲間 プランクトンは「浮遊生活をする生き物」です! サイズじゃなくて 生活様式で呼ばれていたんですよ~^^ ほとんど泳ぐ能力のないクラゲはふよふよ漂っているので、プランクトンと呼ばれます。 これけっこうびっくりポイントです! 日本で2mもある巨大さで有名なエチゼンクラゲだってプランクトン!世の中にいる細長~いクラゲ、クダクラゲだって全長50mもあるのにプランクトン!! 人よりビッグなのにプランクトンなクラゲ達ですが、なにも全く泳がないわけではないんですよ~。 「流れをつっきって泳ぐことが出来ない」生態を持つのがプランクトンですからね。 しかしそれが役に立っているのかは疑問・・? 全く泳がないわけじゃない クラゲは「ふわーふわー」と動いていますよね!傘をゆっくり開いたり閉じたり。 あれがクラゲなりの「泳ぎ」です。 あれで精一杯泳いでいます(笑) 正直あれに、 泳ぎに関してどれほど意味があるのか疑問です・・・クラゲの生態を観察していると、エサを入れても追いかけるわけでもなし。 (偶然エサがあったら刺胞で刺したり、そのまま吸いこんで食べるみたいな) それどころか、もし水流がなくなると底に沈んで、動けなくなって弱って死んでしまうらしいです;; こんなか弱い、水流任せな生態でいいのかクラゲよ。 (まぁ海では問題なしですね。 波はいつもありますから。 その脳がないクラゲは、 「考えること」が出来るはずがありません。 考えたり落ち込んだり、悩み過ぎたりする生態の(生態?)しずくとはえらい違う人生・・・クラゲ生を送っているんだろうなぁ。。 クラゲには脳がない!刺胞動物の仲間はそうなんです クラゲは 刺胞(しほう)動物の仲間です。 刺胞ってのは、毒を刺すとがった針のこと。 刺胞動物には他にイソギンチャクやサンゴなども入るんですが、見るからに脳なんてなさそう・・ですよね(笑) じつに簡単な体の構造をしているんです。 クラゲは大事な脳がなくて、どうしたら体を動かすことが出来るんでしょう? 神経があるから手(触手)を動かしたりできるよ クラゲの体の構造には脳はないけど、 神経はある! 「散在神経」という神経が張り巡らされているんですよ。 わたしたちも脳をすっとばして体が動く「反射」反応があるので、そんな感じと思ってもらえればいいかと^^ ある意味便利な体の構造?? 動物の核、「心臓」がクラゲにはない! 生きているのに心臓がないってどういうこと!?と思ってしまいますが・・・ 動物の核とはいえ、植物には当たり前ですが心臓はありませんよね。 動物だって、扁形動物(プラナリア等)、棘皮動物(ヒトデ、ウニ等)は心臓がない体の構造をしています。 心臓があるのは当たり前!ではないんですね。 クラゲには心臓も血もない! クラゲの体の構造には心臓がないし、血管も血もありません! そう言われれば、砂浜に落ちてるクラゲから血が出てるなんてことはありませんよね>< 透明な血とかかと思ってました・・・。 クラゲが死んで水っぽくなるのは血なんかじゃなくて、 体の95%が水で出来てるからでしょう。 クラゲだって生き物だ!口や胃はちゃんとある これまでクラゲの体の構造は無いものばかりでしたが、 口と胃はあります(笑) 一番普通に見られる ミズクラゲを例にとると、 どちらもとっても意外な場所にあったんですよ!^^ 口と出すところが一緒 クラゲは食べるところと出すところが一緒です。 人間が考えるとちょっと気持ちわるいかもしれませんが(笑) ミズクラゲの口ってどこにもないように見えますよね??実は 傘の裏側の真ん中にあるんです!触手の生えている位置の真ん中ですね~。 タコとかも同じ位置ですよね! 触手の真ん中にあるから食べやすいんだろうなぁ~。 クラゲの生態ということで、食べているものは「 プランクトン」です。 ほんの少しすくっただけでうじゃうじゃいます(笑) クラゲはふよふよ漂うだけですが、食べ物には困らない楽な生態を選んだものですね~。 ミズクラゲの四ツ葉もようが胃だった! ミズクラゲの傘の、かわいい四ツ葉もよう、まぁるいのが並んでて ミズクラゲの(唯一の)目立つ特徴です! あれが胃(生殖腺でもある)なんです!!つまり・・・ エサを食べたらあの模様が色が変わっちゃってすぐ分かります!ミズクラゲは透明ですからね^^ わたしが水族館でミズクラゲにあげていたエサは アルテミア(超ちっちゃいエビみたいなやつ)で、オレンジ色をしていました。 ちゃんと体に行き渡らせているようです。 ミズクラゲの生態はけっこう食事を多めにしているようで、水族館では1日3回あげていましたね。 大きなスポイトで。 かーなーり、楽しい作業でした(笑) 5ツ葉、6ツ葉もようのミズクラゲを探そう!! ヨツメクラゲとも呼ばれるミズクラゲですが、 なんと4ツ葉意外にも5ツ葉、6ツ葉のものがいます・・・! 突然変異らしくたまにいるんですが、ミズクラゲはだいたいたくさん水槽に入っていますので、 1~2匹はいます、きっと(^^)o とはいえ探すのはちょっと大変。 いつも見える位置にいるわけでもないですしね~。 今回は、そんな不思議生物クラゲの謎解きをしてみました! 生態や体の構造は、一番メジャーなミズクラゲではかなり解明されていますが、まだよく分かっていないクラゲも多くいます。

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タコの足が絡まらない理由

タコ の 脳 の 位置 っ て どこ

進化は「まったく違う経路で心を少なくとも二度、つくった」。 一つはヒトや鳥類を含む脊索動物、そしてもう一つがタコやイカを含む頭足類だ。 哲学者であり練達のダイバーでもある著者によれば、「頭足類と出会うことはおそらく私たちにとって、地球外の知的生命体に出会うのに最も近い体験だろう」。 本書は頭足類の心と私たちの心の本性を合わせ鏡で覗き込む本である。 「タコになったらどんな気分か」という問題の中には、そもそも心とは何か、それは物理的な身体とどう関係するのかを解き明かす手がかりが詰まっている。 おまけに著者が観察している「オクトポリス」 タコが集住する場所 では、タコたちが社会性の片鱗を示しはじめているという。 味わい深く、驚きに満ちた一冊。 「エキサイティング、ドラマティック、鮮烈で、目から鱗。 ……すべてのナチュラリスト、すべてのダイバー、そして人間以外の生物がどんな経験をしているかに思いをめぐらせたことのあるすべての人の思考を刺激して、愉しませてくれる本だ。 こんなふうにボトムアップで哲学ができるとは。 哲学は常にこうあるべきだ。 シドニー大学教授、およびニューヨーク市立大学大学院センター兼任教授。 著書に、Darwinian Populations and Natural Selection Oxford, 2009, Lakatos Award受賞作 ほか。 夏目大 翻訳家。 シドニー大学科学史・科学哲学スクール教授、およびニューヨーク市立大学大学院センター兼任教授。 専門は生物哲学、心の哲学、プラグマティズム 特にジョン・デューイ 、科学哲学。 著書Darwinian Populations and Natural Selection Oxford、2009。 2010年のLakatos Award受賞 ほか。 翻訳家。 翻訳学校「フェロー・アカデミー」講師 本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです 「タコの心身問題」というキャッチーなタイトルや、「進化は全く違う経路で心を少なくとも2度作った」というコピーに惹かれて安易に購入してしまったことを反省している。 この本はタイトルに反して人間、あるいは頭足類の心の問題を殆ど扱っていない。 この本のほぼ全てを占めるのは、著者がオーストラリアの家の近くでたまたま見つけたタコの集住場所の観察日記である。 それらを進化に結びつけようとするが、ああでもないこうでもないと仮説をずらずら並べ立てるだけで、結論らしきものは一切導かれない。 叙述も極めて冗長で、読んでいて飽き飽きしてくる。 最後まで読んで著者が最後に放ったメッセージは「海を大切にしましょう」。 心身問題はどこへ行った。 読むべきところがあると感じたのは第6章「ヒトの心と動物の心」だけだ。 そうは言ってもこの章も極めて表面的に認知理論をなぞっただけという感じで、まったく読み応えはない。 結局のところ、タイトルが悪いのだ。 『私が愛したタコたち』 とでも改名してはどうか。 この本はタコについての観察日記以上のものではないのだから。 新聞や書店がなぜそんなにこの本を持ち上げるのか、全く不思議である。 私がここまでこの本に辛辣になるのは、単純に高すぎるからだ。 こんな内容をタイトルだけ工夫して立派な装丁に仕上げて3000円も取るなど、みすず書房のこれまで築いた良識を疑ってしまう。 ブルーバックスで900円くらいの本ならば、私もここまで書かない。 ああ、本当に悔しい! サルに心があるとか、カラスに高度な知能があるとかいう話を聞くと、それなりに感心はするけれど、ものすごく驚くというほどではない。 彼らはヒトと近縁で、脳の構造もヒトと似ている。 サルに心があるとしたら、おそらく私たちヒトの心と似たようなもので、同じ起源をもっているものだろうと想像できる。 だが、タコに心(らしきもの)があり、ヒトと心を通わせることができるとなると話は別だ。 ヒトとタコは進化の歴史上、約6億年前に袂を分かったとされる。 その頃の動物はやっと原始的な目を持ち始めたという程度で、単純な体をしており、神経細胞は一応持っていたらしいが脳はなかった。 ヒトとタコの共通祖先に心はまだ無かったのだ。 だから、タコに心があるとすれば、それはヒトの心とは異なる起源を持ち別個に生じたということになる。 「進化はまったく違う経路で心を少なくとも二度、つくった」のだ。 ヒトの心は進化の副産物に過ぎないという考え方があるという。 大きな脳と複雑な神経系、それによって可能となる洗練された行動や高度な知能こそが主産物であって、心はそれに付随して生じた偶然の産物だというのだ。 だが、もしタコに心があるならどうだろう?歴史も環境も身体の構造も共有していない2つの生き物が、心と呼ぶべき類似した精神活動を共におこなっているとしたら?それは、心というものが偶然の産物などではなく、進化の歴史の中で必然的に生まれたものだということの傍証になるのではないか。 そんな想像を掻き立てられる。 本書ではまず、タコが心を持っていると思わせるような行動をとることが紹介される。 また、ヒトとタコが進化上かけ離れた存在であることを示し、全く異なる生き物である両者が「心を通わせる」ことができる不思議さについて触れている。 そして、その後の数章では、生物の進化の歴史を数億年の単位で遡り、心の起源について探っていく。 ヒトとタコは何もかも違うと言って良いほど違っている。 たとえばタコは原口動物で、ヒトは新口動物だ、というレベルで違う。 神経系について言えば、タコにも脳と呼べる構造はあるが、脳とそれ以外の神経系にヒトほど明確な境界線はない。 また、驚くべきことに、消化管が脳の中を突き抜けるような体の構造をしているという。 しかも、「中央集権的」なヒトの脳と異なり、タコは脳よりもむしろ8本の腕に神経が多く分布しているらしい。 進化について述べられている章では、この分野における著者の造詣の深さに驚嘆させられる。 著者の専門は哲学というからびっくりだ。 進化生物学者だと言われても違和感がない。 最近の論文も引用されており、その分野が現在進行形で研究されていることが良く分かる。 ただ、この進化に関する数章は、ヒトとタコの心の違いを考えるという本書の主題からはやや脱線する部分もある。 もし退屈に感じたら、最後の2章を先に読んでもいいかもしれない。 この2章に、タコの持つ心の不思議さが凝縮されていると思うからだ。 第7章「圧縮された経験」では、なんとタコの寿命がわずか2年ほどだということが説明される。 それだけの期間で心を発達させることができるのも興味深いが、それ以前の問題として、そもそもそのような短い寿命の生物で心や知能が進化しうるのか、という問題がある。 複雑な神経系は、経験や学習を蓄積させるほど能力を発揮できるので、基本的に寿命が長いほど価値を持つ。 一方で、脳が大食いの器官と評されるように、神経は「維持費」が多くかかる。 2年という短い期間では、複雑な神経系は、メリットよりもコストの方が大きくなってしまうように思われる。 それにもかかわらず、なぜこれほどの高度な神経が進化したのか。 この点について考察されている。 最後の章「オクトポリス」では、頭足類の心について、より詳細に触れられている。 タコとイカは頭足類に分類される近縁の動物だが、それぞれの高い知能が独立に進化した可能性があるという。 また、頭足類にもエピソード様記憶という、ヒトと同様の記憶の能力があるという。 心は、進化の歴史の中で、二度どころかもっと多くの回数生まれた可能性があるのだ。 全く異なる起源をもち、異なる構造をしているにも関わらず、似た心や知能を持つに至ったのであれば、それは心にも収斂進化が起こっていると言ってもよいのではないか。 最後の訳者あとがきも素晴らしい。 本書の原題はOther Mindsだが、これがMind"s"と複数形になっていることの意味について書かれている。 タコという不思議な動物についてよく知ることができるだけでなく、タコを通して私たちヒトの心について考えることができる本。 面白かった。 進化や、私たちの心がどこから来るのか、ということについて興味のある人は楽しめるのではないかなと思います。 ・原題:Other Minds 原題はアザー・マインズである。 具体的にはタコやイカの頭足類のことであるが、本書では宇宙人も想定されている。 「頭足類を見ていると、心があると感じられる。 心が通じ合ったように思えることもある(p. 10)」と著者は述べる。 本書は、「生物の持つどういう原料から、どのようにして意識が生じるにいたったのか(p. 10)」とあるように、動物にも意識があることが前提され、その主観的経験が進化上どの時点で発生したのかを問題としている。 著者は自分の専門は哲学であると宣言し、本書が生物とその進化の本であると同時に、哲学の本でもあると述べているにもかかわらず、残念ながら本書は生物学の本に分類されている。 その点を日本語で『タコの心身問題』としたのは、よく考えられたタイトルだ。 ・心があると信じられる 私は別の人の意識を体験できない。 これを哲学では「他我問題」というそうだ。 ましてや動物の意識を体験することはできない。 だからタコやイカに限らず、動物はまるで意識を持っているかのように動くとしか思えない。 しかし、われわれは人に対して自分と同じ意識を持っていると信じている。 なぜだろうか。 著者は、ソ連の心理学者、レフ・ヴィゴツキーの内言を持ち出す。 内言とは、自らの内側を見つめてみれば、そこに常に内なる声の流れがあることに気づく(p. 168)、このことである。 それで思いついたのだが、自分の内なる言葉と同じ言葉を発する彼は、きっと私と同じ意識を持っているのだと信じることができるだろう。 「2001年宇宙の旅」のHAL9000のように。 ・色を変える 頭足類は周りの環境に合わせて、自分の体の色を変えることができる。 皮膚が多層構造になっていて、色を発する物質が収められた色素胞が何百万とあり、これを脳が直接コントロールしている(p. 134)。 人間は血流の増減で顔色を変えるが、その変化は感情を表現することがある。 同じように彼らも体の色でコミュニケーションできるのではないかと考えたが、残念なことに彼らは外からの色を識別できるかどうか不明で、その可能性があるに留まっているそうだ(p. 150)。 いろいろと想像を掻き立てる、生物学と哲学が高いレベルで一体となった、読み応えのある一冊である。 イカやタコなどの頭足類の知性、特に「主観的経験」について主に進化論の観点から論じたもの。 これは「意識」とは違うと言っているので、副題にあるような「意識の起源を探る」というのは、正確に内容を反映しているとは言えないだろう。 なお、著者は哲学者であって生物学者ではない。 記述は多くが頭足類の生態で、肝心の哲学的考察についてはあまり掘り下がっておらず、同じ内容の繰り返しも多い。 頭足類が多数の神経細胞を持っているというのはそれ自体興味深い事実である。 しかし、頭足類がどのような知性を持っているかについては、ほとんど生物学者の論文に依拠しているうえ、それに基づいた哲学的考察があるかというと、核心に触れるのをあえて避けているかのような、奇妙な論述だと思える。 あまり理論的な記述がない。 エッセイだと思って読めば楽しめるかもしれないが、それなら3000円は確かに割高である。

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タコ の 脳 の 位置 っ て どこ

進化は「まったく違う経路で心を少なくとも二度、つくった」。 一つはヒトや鳥類を含む脊索動物、そしてもう一つがタコやイカを含む頭足類だ。 哲学者であり練達のダイバーでもある著者によれば、「頭足類と出会うことはおそらく私たちにとって、地球外の知的生命体に出会うのに最も近い体験だろう」。 本書は頭足類の心と私たちの心の本性を合わせ鏡で覗き込む本である。 「タコになったらどんな気分か」という問題の中には、そもそも心とは何か、それは物理的な身体とどう関係するのかを解き明かす手がかりが詰まっている。 おまけに著者が観察している「オクトポリス」 タコが集住する場所 では、タコたちが社会性の片鱗を示しはじめているという。 味わい深く、驚きに満ちた一冊。 「エキサイティング、ドラマティック、鮮烈で、目から鱗。 ……すべてのナチュラリスト、すべてのダイバー、そして人間以外の生物がどんな経験をしているかに思いをめぐらせたことのあるすべての人の思考を刺激して、愉しませてくれる本だ。 こんなふうにボトムアップで哲学ができるとは。 哲学は常にこうあるべきだ。 シドニー大学教授、およびニューヨーク市立大学大学院センター兼任教授。 著書に、Darwinian Populations and Natural Selection Oxford, 2009, Lakatos Award受賞作 ほか。 夏目大 翻訳家。 シドニー大学科学史・科学哲学スクール教授、およびニューヨーク市立大学大学院センター兼任教授。 専門は生物哲学、心の哲学、プラグマティズム 特にジョン・デューイ 、科学哲学。 著書Darwinian Populations and Natural Selection Oxford、2009。 2010年のLakatos Award受賞 ほか。 翻訳家。 翻訳学校「フェロー・アカデミー」講師 本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです 「タコの心身問題」というキャッチーなタイトルや、「進化は全く違う経路で心を少なくとも2度作った」というコピーに惹かれて安易に購入してしまったことを反省している。 この本はタイトルに反して人間、あるいは頭足類の心の問題を殆ど扱っていない。 この本のほぼ全てを占めるのは、著者がオーストラリアの家の近くでたまたま見つけたタコの集住場所の観察日記である。 それらを進化に結びつけようとするが、ああでもないこうでもないと仮説をずらずら並べ立てるだけで、結論らしきものは一切導かれない。 叙述も極めて冗長で、読んでいて飽き飽きしてくる。 最後まで読んで著者が最後に放ったメッセージは「海を大切にしましょう」。 心身問題はどこへ行った。 読むべきところがあると感じたのは第6章「ヒトの心と動物の心」だけだ。 そうは言ってもこの章も極めて表面的に認知理論をなぞっただけという感じで、まったく読み応えはない。 結局のところ、タイトルが悪いのだ。 『私が愛したタコたち』 とでも改名してはどうか。 この本はタコについての観察日記以上のものではないのだから。 新聞や書店がなぜそんなにこの本を持ち上げるのか、全く不思議である。 私がここまでこの本に辛辣になるのは、単純に高すぎるからだ。 こんな内容をタイトルだけ工夫して立派な装丁に仕上げて3000円も取るなど、みすず書房のこれまで築いた良識を疑ってしまう。 ブルーバックスで900円くらいの本ならば、私もここまで書かない。 ああ、本当に悔しい! サルに心があるとか、カラスに高度な知能があるとかいう話を聞くと、それなりに感心はするけれど、ものすごく驚くというほどではない。 彼らはヒトと近縁で、脳の構造もヒトと似ている。 サルに心があるとしたら、おそらく私たちヒトの心と似たようなもので、同じ起源をもっているものだろうと想像できる。 だが、タコに心(らしきもの)があり、ヒトと心を通わせることができるとなると話は別だ。 ヒトとタコは進化の歴史上、約6億年前に袂を分かったとされる。 その頃の動物はやっと原始的な目を持ち始めたという程度で、単純な体をしており、神経細胞は一応持っていたらしいが脳はなかった。 ヒトとタコの共通祖先に心はまだ無かったのだ。 だから、タコに心があるとすれば、それはヒトの心とは異なる起源を持ち別個に生じたということになる。 「進化はまったく違う経路で心を少なくとも二度、つくった」のだ。 ヒトの心は進化の副産物に過ぎないという考え方があるという。 大きな脳と複雑な神経系、それによって可能となる洗練された行動や高度な知能こそが主産物であって、心はそれに付随して生じた偶然の産物だというのだ。 だが、もしタコに心があるならどうだろう?歴史も環境も身体の構造も共有していない2つの生き物が、心と呼ぶべき類似した精神活動を共におこなっているとしたら?それは、心というものが偶然の産物などではなく、進化の歴史の中で必然的に生まれたものだということの傍証になるのではないか。 そんな想像を掻き立てられる。 本書ではまず、タコが心を持っていると思わせるような行動をとることが紹介される。 また、ヒトとタコが進化上かけ離れた存在であることを示し、全く異なる生き物である両者が「心を通わせる」ことができる不思議さについて触れている。 そして、その後の数章では、生物の進化の歴史を数億年の単位で遡り、心の起源について探っていく。 ヒトとタコは何もかも違うと言って良いほど違っている。 たとえばタコは原口動物で、ヒトは新口動物だ、というレベルで違う。 神経系について言えば、タコにも脳と呼べる構造はあるが、脳とそれ以外の神経系にヒトほど明確な境界線はない。 また、驚くべきことに、消化管が脳の中を突き抜けるような体の構造をしているという。 しかも、「中央集権的」なヒトの脳と異なり、タコは脳よりもむしろ8本の腕に神経が多く分布しているらしい。 進化について述べられている章では、この分野における著者の造詣の深さに驚嘆させられる。 著者の専門は哲学というからびっくりだ。 進化生物学者だと言われても違和感がない。 最近の論文も引用されており、その分野が現在進行形で研究されていることが良く分かる。 ただ、この進化に関する数章は、ヒトとタコの心の違いを考えるという本書の主題からはやや脱線する部分もある。 もし退屈に感じたら、最後の2章を先に読んでもいいかもしれない。 この2章に、タコの持つ心の不思議さが凝縮されていると思うからだ。 第7章「圧縮された経験」では、なんとタコの寿命がわずか2年ほどだということが説明される。 それだけの期間で心を発達させることができるのも興味深いが、それ以前の問題として、そもそもそのような短い寿命の生物で心や知能が進化しうるのか、という問題がある。 複雑な神経系は、経験や学習を蓄積させるほど能力を発揮できるので、基本的に寿命が長いほど価値を持つ。 一方で、脳が大食いの器官と評されるように、神経は「維持費」が多くかかる。 2年という短い期間では、複雑な神経系は、メリットよりもコストの方が大きくなってしまうように思われる。 それにもかかわらず、なぜこれほどの高度な神経が進化したのか。 この点について考察されている。 最後の章「オクトポリス」では、頭足類の心について、より詳細に触れられている。 タコとイカは頭足類に分類される近縁の動物だが、それぞれの高い知能が独立に進化した可能性があるという。 また、頭足類にもエピソード様記憶という、ヒトと同様の記憶の能力があるという。 心は、進化の歴史の中で、二度どころかもっと多くの回数生まれた可能性があるのだ。 全く異なる起源をもち、異なる構造をしているにも関わらず、似た心や知能を持つに至ったのであれば、それは心にも収斂進化が起こっていると言ってもよいのではないか。 最後の訳者あとがきも素晴らしい。 本書の原題はOther Mindsだが、これがMind"s"と複数形になっていることの意味について書かれている。 タコという不思議な動物についてよく知ることができるだけでなく、タコを通して私たちヒトの心について考えることができる本。 面白かった。 進化や、私たちの心がどこから来るのか、ということについて興味のある人は楽しめるのではないかなと思います。 ・原題:Other Minds 原題はアザー・マインズである。 具体的にはタコやイカの頭足類のことであるが、本書では宇宙人も想定されている。 「頭足類を見ていると、心があると感じられる。 心が通じ合ったように思えることもある(p. 10)」と著者は述べる。 本書は、「生物の持つどういう原料から、どのようにして意識が生じるにいたったのか(p. 10)」とあるように、動物にも意識があることが前提され、その主観的経験が進化上どの時点で発生したのかを問題としている。 著者は自分の専門は哲学であると宣言し、本書が生物とその進化の本であると同時に、哲学の本でもあると述べているにもかかわらず、残念ながら本書は生物学の本に分類されている。 その点を日本語で『タコの心身問題』としたのは、よく考えられたタイトルだ。 ・心があると信じられる 私は別の人の意識を体験できない。 これを哲学では「他我問題」というそうだ。 ましてや動物の意識を体験することはできない。 だからタコやイカに限らず、動物はまるで意識を持っているかのように動くとしか思えない。 しかし、われわれは人に対して自分と同じ意識を持っていると信じている。 なぜだろうか。 著者は、ソ連の心理学者、レフ・ヴィゴツキーの内言を持ち出す。 内言とは、自らの内側を見つめてみれば、そこに常に内なる声の流れがあることに気づく(p. 168)、このことである。 それで思いついたのだが、自分の内なる言葉と同じ言葉を発する彼は、きっと私と同じ意識を持っているのだと信じることができるだろう。 「2001年宇宙の旅」のHAL9000のように。 ・色を変える 頭足類は周りの環境に合わせて、自分の体の色を変えることができる。 皮膚が多層構造になっていて、色を発する物質が収められた色素胞が何百万とあり、これを脳が直接コントロールしている(p. 134)。 人間は血流の増減で顔色を変えるが、その変化は感情を表現することがある。 同じように彼らも体の色でコミュニケーションできるのではないかと考えたが、残念なことに彼らは外からの色を識別できるかどうか不明で、その可能性があるに留まっているそうだ(p. 150)。 いろいろと想像を掻き立てる、生物学と哲学が高いレベルで一体となった、読み応えのある一冊である。 イカやタコなどの頭足類の知性、特に「主観的経験」について主に進化論の観点から論じたもの。 これは「意識」とは違うと言っているので、副題にあるような「意識の起源を探る」というのは、正確に内容を反映しているとは言えないだろう。 なお、著者は哲学者であって生物学者ではない。 記述は多くが頭足類の生態で、肝心の哲学的考察についてはあまり掘り下がっておらず、同じ内容の繰り返しも多い。 頭足類が多数の神経細胞を持っているというのはそれ自体興味深い事実である。 しかし、頭足類がどのような知性を持っているかについては、ほとんど生物学者の論文に依拠しているうえ、それに基づいた哲学的考察があるかというと、核心に触れるのをあえて避けているかのような、奇妙な論述だと思える。 あまり理論的な記述がない。 エッセイだと思って読めば楽しめるかもしれないが、それなら3000円は確かに割高である。

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